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コミットメント Commitment
達成すべき目標であり、未達成の場合は具体的な形で責任をとるもの。コミットメントのない変革は頓挫する。
日産の「用語辞典」によると、「コミットメント」と「ターゲット」という言葉が使い分けられています。「コミットメント」は達成すべき目標であり、未達成の場合は具体的な形で責任をとるというものです。「ターゲット」とは、コミットする目標よりさらに高い目標を指します。
コミットメントという言葉は訳し方によっては「できる限りのことをする」というあいまいなもので、勝手な解釈も可能なのです。しかし、日産社内での解釈は「未達成の場合は具体的な形で責任をとる」というあいまい性の排除にその取り組みの本気度が表れています。
つまりコミットメントは、目標と達成責任を明確にすることで、社員の挑戦志向、変革志向を高めようとしているのです。このように、トップの変革への強い意志と、社員の主体的な変革への参画と能力の発揮を促すことが、企業改革の大きな梃子として作用するのです。
10分でわかる「コミットメント」の意味と使い方
【どういう意味?】
「かかわりあい」「委任」「言質(げんち)」をさします。
【もう少し詳しく教えて】
コミットメント(commitment)は英語からきており、「かかわりあうこと」、「ゆだねること」「委託」「委任」、また「言質を与えること」「公約」「誓約」「約束」などを意味します。つまり、責任をもって関わること、責任をもって関わることを明言すること、責任を伴う約束をさします。また、金融分野では特に、有価証券の売買や売買契約をさします。
【どんな時に登場する言葉?】
契約や交渉、渉外など何らかの関係を示したり、声明や公約をさすときなどに用いられます。したがって、政治や法律に関わる分野で比較的多くみられます。
【どんな経緯でこの語を使うように?】
コミットメントは英語の動詞コミット(commit)の名詞形です。英語動詞コミットに関連した日本語としては、「手数料」「わいろ」「専門委員会」を意味するコミッション(commission)、プロ野球などの協会最高権力者をさすコミッショナー(commissioner)、委員会を表すコミッティー(committee)の方が先に広まっているため、なじみ深いかもしれません。
【コミットメントの使い方を実例で教えて!】
- トップ-コミットメント
- 企業のCEOが表明する、企業ビジョンや環境問題などへの取り組みを含んだ所信表明をさすことが多いようです。企業の公式ウェブサイトなどに多く掲載されています。
- コミットメントのステートメント
- 例えば「○○業界の環境に対するコミットメントのステートメント」というとしたら、「○○業界から発せられた環境問題についての公約の声明文」ということになるでしょう。また、「パートナーシップのためのコミットメント」、「パブリックコミットメント」のような使われ方をします。
- 教育分野への強いコミットメント
- アプリケーションソフトウエア会社が、アカデミックパッケージの提供や教育ソフトの開発などを推進するなど、教育分野へ大きく関与していることを、このように表現しています。「仕事へのコミットメント」、「Linuxプラットフォームへのコミットメント」のようにも用いられます。
- コミットメントライン(commitment line)
- コミットメントラインは金融用語で「融資枠」のことです。ほかに、コミットメントフィー(commitment fee)は「融資枠維持手数料」をさします。
【言い換えたい場合は?】
コミットメントを漢字に置き換えると、「関与」「委託」「確約」などのようになります。文脈から、「かかわり」「公約」「言質」「声明」、または「義務」や「責任」なども考えられるでしょう。
【雑学・うんちく・トリビアを教えて!】
「コミットする」コミットメントを動詞形にして「コミットする」と日本語でも言うようになりましたが、英語で「コミットする」(commit)という動詞を使った場合、それは日本語より重いニュアンスがあります。語源的には宗教的に「すべてを送る」つまり「ゆだねる」という意味合いで、古くは「神に魂をゆだねる」ことも表しました。ですから、「~(すること)をコミットする」というと、「~(すること)を誓約・公言する」ことになり、「~(すること)」に対して、天知る地知る我知る人知る責任が生じます。有言実行の英語らしい表現ですね。
コミットメントの理解度国立国語研究所の「『外来語』言い換え提案」によると、コミットメントは「関与」「かかわり」または「確約」「公約」とされています。また、2003年掲載の情報によると、コミットメントの理解度は国民全体の25%未満です。
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/10minnw/042commitment.html
コミットメント
コミットメントとは、仕事や組織に対する愛着の程度や心理的距離の概念として理解される。
仕事に対するコミットメントには外因的コミットメントと内因的コミットメントがあり、外因的コミットメントは報酬やポストなどの外的要因を動機づけ要因により得られるもので、内因的コミットメントとは価値観や成功イメージなどによって得られるものを指す。
組織に対するコミットメントは、感情的コミットメント、継続的コミットメント、規範的コミットメントの3つから構成されている。感情的コミットメントとは組織に対する好意的な感情をベースにするもので、継続的コミットメントとは現時点で組織を離れることは自分にとって損失であるから留まるという意味におけるもの、そして規範的コミットメントとは組織に関与することが自身にとって道徳的に望ましいから留まるという判断におけるものである。一般的に高いコミットメントは組織における従業員のパフォーマンスや満足度にプラスの影響を与えるとされてきた。しかし、感情的コミットメントが高いことはパフォーマンスや満足度の向上にプラスに影響するが、継続的コミットメントや規範的コミットメントについては必ずしもそうではないことがわかってきている。
執筆 コンサルタント 山﨑綾子
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ルサンチマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルサンチマン(仏: ressentiment)はデンマークの思想家セーレン・キェルケゴールにより確立された哲学上の概念である。主に、ある感情を感じたり行動を起こしたりある状況下で生きることのできる人すなわち強者に対する、それをなしえない弱い者の、憤りや怨恨、憎悪、非難の感情をいう。この感情は自己欺瞞を含み、嫉妬や羨望から来る。フリードリヒ・ニーチェの『道徳の系譜』(1887年)で使用され、マックス・シェーラーの『道徳構造におけるルサンチマン』で再度とり上げられ、一般的に使われるようになった。
道徳の系譜 [編集]
ニーチェによればルサンチマンの人とは「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」[1]である。
よって、ルサンチマンの人は非常に受け身的であり、無力な状態で、フラストレーションを起こしている。行動を禁じられて、その結果自身の無力を痛感している人なら誰でもルサンチマンに陥る。すなわち感情を表に出すことができなくなってしまうのである。
強者であればこの状態を克服できる。その場合、ルサンチマンの状態は(復讐心を克服するときと同様)一時的なものでしかない。反対に弱者はルサンチマンから逃れられない(復讐心が脅迫観念になったり、ある行為を後悔するあまり日々悶々として、気の休まるときがなくなってしまったりするのと同じ)。そして、フラストレーションの味方をして、なにもできないのを正当化し、価値の否定および反転を行う。自分を正当化しようとするこの願望こそ奴隷精神の最大の特徴である。
こうしたルサンチマンの例は、敵との対比(実際の敵であることもあれば空想上の敵であることもある)において自己を定義しようとする様々なイデオロギーである。このようなイデオロギーでは敵(すなわち自分が無力である原因)が悪の元凶扱いされ、反対に、道徳的に優れているのは自分だとされる。彼らは悪人だ、従ってわれわれは善人だ、というわけである。あるいはまた、世界はどうしようもなく悪によって支配されている。したがってわれわれのほうが世界より優れている、ともなる。
なお、ギリシア哲学研究で著名な田中美知太郎は、プラトンの対話編『ゴルギアス』でのカリクレスの主張―弱者たる多数派による法律に飼い馴らされた状態から、充分な天性を授かった人間(奴隷にしておいた主人)が立ち上がり、自然の正義が燦然と輝き出る、というもの―には、ルサンチマン概念の変奏曲の如きものが認められると指摘した(田中美知太郎責任編集『世界の名著 プラトンⅠ』中央公論社)。
ジル・ドゥルーズ [編集]
ドゥルーズは『ニーチェと哲学』(1962年)においてルサンチマン概念を、哲学を肯定的かつ反弁証法的に再生させるという視角から論じている。ポストヘーゲル主義的な理論が退潮した時期にドゥルーズは、弁証法的止揚とか批判的活動といったものを中心に置かない哲学を考案した。この哲学は批判哲学も弁証法哲学も否定性とみなし、能動的行為(actif)を反動的行為(réactif)より高く評価する。
ルネ・ジラール [編集]
ルネ・ジラールも1960年代中頃からルサンチマン概念を論じている。ジラールによればルサンチマンとは、乗り越えることのできない理想的モデルに対して誰もが抱く単なる嫉妬心にすぎない。自律的に感情を抱くことのできる「優れた」人間というものがいるというロマン主義的な考え方をジラールは批判し、どんな人間も模倣をせざるをえないと考えた。反動という言い方をニーチェが用いたような悪い意味で使うことができるとしても、ジラールに言わせれば、われわれはみな反動的なのであり、その点では、ニーチェ的な意味では一見して優れた人間であるとみえる人々でさえ例外ではない。ロミオとジュリエットであれテレビのアイドルたちであれ、優れた人間でないばかりか、自分の感情を育むために他人の感情に頼りきっている。それが嵩じれば、自殺したり人工的な世界に逃げ込むことにもなりかねない。ジラールの考えでは、ニーチェ自身もルサンチマンの人である(例えばニーチェは当初ワーグナーを崇敬し、その後攻撃に転じた)。ニーチェが狂気に陥った理由の一端は、奴隷精神への軽蔑と彼自身のこのような心理状態との緊張から説明できる、というわけである。またジラールは同様の仕方でもルサンチマンのイデオロギーについても論じている。共産主義、反ユダヤ主義、さらに一般に「反・・・」を名乗る主義がこうしたイデオロギーと言える。ただし、ニーチェのみならず近代思想全体によって「断罪」された聖書やキリスト教は、ジラールにとっては、感情の真実を伝える担い手であるとされる。
マルク・アンジュノ [編集]
イデオロギー研究の文脈では、言説分析を専門とするカナダの歴史家のマルク・アンジュノ(en:Marc Angenot)が、20世紀の政治イデオロギーやアイデンティティ・ポリティクス、ナショナリズムを論じる際に、ルサンチマン概念を取り上げている[2]。アンジュノもまたルサンチマンとは、不満の蓄積を特徴とする態度であると考えている。ルサンチマンに基づく主意主義の増殖は今日ではとりわけポストモダニズムや独善的主張の横行、組織防衛的な考え方の拡大にみられ、様々な形態の差別や社会的対立を煽っている。アンジュノによれば、過去について反省したり将来について希望を抱き続けることは、たとえわれわれの目から見て安定性や魅力が(ヴァルター・ベンヤミンがアウラの消失と呼ぶような仕方で)消え失せている仕方であるように見えても、ルサンチマンがもつ反動的な影響から身を守るための最善の方法である。
脚注 [編集]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%9E%E3%83%B3
ディレッタントとは、
マニアといっても良い
自分の好きな事しか知