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贈与税
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贈与税(ぞうよぜい)は、税金の一つ。相手からの贈与によって受け取った財産に課せられる国税。本項では日本の贈与税について解説する。
法律上の規定 [編集]
贈与税の目的の1つが、生前贈与による相続税回避の防止にあることから、相続税の補完的な税の性質を持つ。したがって、相続税法(昭和25年法律第73号)の中で相続税とともに規定されている。
課税対象 [編集]
納税義務者は、贈与によって財産を取得した個人であるが、権利能力なき社団、財団も例外的に納税義務者になることもある。
納税 [編集]
2008年度(平成20年度)現在、個人の基礎控除が年間110万円ある。従って、その金額までは課税されない。また、相続が発生した場合、遡って課税されることがある。年間110万円を超える部分に対して課税される税率は、金額により10%から50%と徐々に高くなる。(累進課税制度)。相続税より基礎控除額が低いのは、贈与税は相続税の補完税である為(相続税の負担を公平とする為に、設けられた)。
2003年度(平成15年度)より、「相続時精算課税」制度が創設された。これは、贈与税・相続税を通じた納税を可能とした制度である。対象者は、贈与者が65歳以上、受贈者が贈与者の推定相続人(代襲相続人も対象)で20歳以上となっており(年齢判定は贈与があった年の1月1日時点)、親のその子供が該当する場合が多い。2008年度(平成20年度)現在、控除額は2,500万円で、複数年に渡り利用できる。控除額を超える贈与を受けた場合は、超える金額について贈与税を納付し、相続時に相続税で精算する。この「相続時精算課税」制度と従来どおりの贈与税の納税方式である「暦年課税」とのいずれかを申告時に選択できるが、一度選択したら、後からの変更はできない。尚、2009年(平成21年)12月31日までであれば(2008年度現在)、住宅取得等資金(住宅新築や購入、増改築。一定要件が必要)の贈与に限り、従来の2,500万円控除に1,000万円をプラスし、3,500万円まで控除を受けられる特例がある。尚、これについては贈与者の年齢は関係ない。
納税時期 [編集]
毎年1月1日より12月31日までの贈与分を、翌年3月15日までに申告して納付する。個人所得税の確定申告と同時期に行われるが、まったく別の申告となる。
納税義務者 [編集]
- 贈与により財産を取得した個人で財産取得時に日本に住所を有するもの
- 贈与により財産を取得した日本国籍を有する個人で財産取得時に日本に住所を有しないもの(ただし、その個人、贈与をした者がその贈与前5年以内のいずれかの時に日本に住所を有していたことがある場合に限られる。)
- 贈与により日本にある財産を取得した個人で財産取得時に日本に住所を有しないもの(2の者は除かれる。)
課税財産の範囲 [編集]
税収の推移 [編集]
財務省の統計を参照(単位:100万円)
- 平成14年度 1,452,891
- 平成13年度 1,674,472
- 平成12年度 1,782,208
- 平成11年度 1,885,339
- 平成10年度 1,915,579
- 平成9年度 2,412,872
外部リンク [編集]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B4%88%E4%B8%8E%E7%A8%8E税務署
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日本において、税務署(ぜいむしょ)は、国税庁の下部組織として、所管事務の一部を分掌させるために設置されている国の行政機関。財務省設置法第二十四条の規定に基づき設置される。
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概要 [編集]
2005年3月現在、税務署の所管事務は財務省組織規則によって以下のように定められている。
- 内国税の賦課及び徴収に関すること
- 税理士制度運営に関すること
- 酒税の保全並びに酒類業の発達、改善及び調整に関すること(酒税の保全並びに酒類業の発達、改善及び調整に関する制度の企画及び立案を除く)
- 酒類に係る資源の有効な利用の確保に関すること
- 印紙の模造の取締りを行うこと
- 税務署の所掌事務に係る国際協力に関すること
- その他、法令に基づき、税務署に属させられた事務
税金のうち、国税(中央税)である(所得税、法人税、消費税、相続税、贈与税、登録免許税、印紙税、酒税、揮発油税(ガソリン税)、地方道路税、航空機燃料税、電源開発促進税、自動車重量税、石油ガス税、石油石炭税、たばこ税など)に関する業務を行なっており、確定申告の時期には多くの人が訪れ、確定申告に関する相談などを受け付けている。
組織 [編集]
幹部 [編集]
- 署長
- 副署長(小規模署では設置されない)
- 特別国税調査官・徴収官等の一部(国税庁長官から辞令が与えられる、署長・副署長クラスの幹部職員。後述する課長クラスの特官と区別するため「指定特官」とも呼ばれる。一部の署のみ)
内部部局 [編集]
- 総務課
- 総務係
- 会計係(一部の署を除く)
- 厚生係(ごく一部の署のみ)
- 管理・徴収部門(規模が極めて小さい署においては、総務課の中の一担当として設置されている署もある)
- 個人課税部門
- 資産課税部門(中小規模署においては、個人課税部門の中の一担当として設置されている)
- 法人課税部門
- 特別国税調査官・徴収官等(国税局局長から辞令が与えられる、課長・統括国税調査官等クラスの職員。一部の署を除く)
- ※各系統の部門の数は署の規模によってまちまちであり、少ないところでは1部門のみ、多いところでは20部門を超える署も存在する。各部門には支所・出張所の課長職に当たる統括国税調査官等が1部門につき1名配置され、その下に数名から十数名程度の部下に当たる職員が配属される。
- ※一般的な部門内の構成
- 統括国税徴収・調査官(課長)-上席国税徴収・調査官(課長補佐・係長)-国税徴収・調査官(係長・主任)-事務官(同。民間企業における一般職員に相当)。
- 括弧書きは総務課の場合。ただし課長補佐・係長で管理職となるのは総務課の職員のみで、他の部門の同じ格付けの職員は管理職に該当しない。また、部門内の役職別人数は年齢構成等により異なる。
- 国税局の下部組織という位置づけのため、国税局や役所と同じ職名でも地位は1ランク下位である。例えば課長や第一統括官は役所等の課長補佐と、上席徴収・調査官は主査と同等の格付けに相当する。
また、署によっては、これらの他に酒税や総合的な調査などの専門分野を指導する担当や、部門間の連絡調整など現場レベルの事務運営を指揮監督する連絡調整官などといった専門職が配置される税務署もある。これらの職は通常課長待遇(専門官、連絡調整官など)または課長補佐待遇(記帳指導推進官など)での配属となるが、酒類指導官などで署長・副署長クラスの幹部が配置される枠もごく僅かではあるが用意されている。
外部リンク [編集]
国税庁
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国税庁(こくぜいちょう、英字表記:National Tax Agency)は、国家の歳入確保のため、所得税・法人税・相続税(以上、直接国税)、酒税・消費税(以上、間接国税)などの国税(中央税)の課税・徴収を行う財務省の外局である。財務省主税局が税制の企画・法制化などにかかわるのに対して、租税制度を執行する機関としての位置付けになる。
また、国税庁の地方組織として、11の国税局、1つの事務所、524の税務署が置かれている。税務署では、個人の場合、毎年2月中旬から3月中旬にかけて確定申告を行う。なお、法人の場合は決算期の終了から2カ月以内に確定申告することになっている。 なお、酒販免許・酒造免許などは税務署長が権限を持っており、国税庁(大蔵省→財務省)は、「酒」業界の所轄官庁でもある。
東京、大阪、名古屋の国税局には映画「マルサの女」で有名になった査察部がある。(その他の国税局は本庁と同じく調査査察部で査察業務を扱う。)
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沿革 [編集]
- 大蔵省主税局の一部など、徴税担当部門を母体として発足。
- 本庁は、総務部、直税部、間税部、調査査察部の4部制。
- 所在地は内幸町の東拓ビル。
- 1950年5月4日 - 国税庁協議団及び国税局協議団(後の国税不服審判所)設置。
- 1951年4月1日 - 国税庁次長を新設。本庁の総務部を分割して、長官官房と徴収部を設置。
- 1956年3月23日 - 旧大蔵省庁舎の接収解除により千代田区内幸町から移転。
- 1959年4月13日 - 間税部酒税課所属の醸造試験所を国税庁直属の附属機関とする。
- 1964年6月18日 - 税務講習所を税務大学校に拡充。
- 1970年5月1日 - 国税不服審判所発足(協議団廃止)。
- 1986年5月23日 - 長官官房国税審議官1名を新設。(国際業務を担当)
- 1991年7月10日 - 税目別の徴税体制から納税者別の徴税体制に移行。
- これに伴い、本庁の直税部と間税部を課税部に統合。
- 長官官房国税審議官を1名増員。(酒類行政及び酒税徴収事務の担当)
- 1995年7月10日 - 醸造試験所を東京都北区滝野川から広島県東広島市の広島中央サイエンスパークに移転し、醸造研究所に改組。
- 1998年7月10日 - 税務大学校の本校校舎を新宿区若松町と船橋市から埼玉県和光市に移転統合。
- 2001年1月6日 - 中央省庁再編により、国税庁は財務省の外局となる。
- 長官官房国税審議官は長官官房審議官に改称。(定員2名)
所在地 [編集]
組織 [編集]
幹部 [編集]
- 国税庁長官
- 国税庁次長
内部部局 [編集]
- 長官官房(官房長不置)
- 課税部
- 課税部長
- 課税総括課
- 消費税室
- 審理室
- 課税企画官
- 個人課税課
- 資産課税課
- 法人課税課
- 酒税課
- 酒税企画官
- 資産評価企画官
- 鑑定企画官
- 徴収部
- 徴収部長
- 管理課
- 徴収課
- 調査査察部
- 調査査察部長
- 調査課
- 国際調査管理官
- 査察課
審議会等 [編集]
施設等機関 [編集]
特別の機関 [編集]
地方支分部局と管轄 [編集]
現役の在籍幹部 [編集]
歴代の国税庁長官 [編集]
- 長官空席時の国税庁長官心得はいずれも国税庁次長が兼務
- 前職は特段記載無ければ大蔵省(財務省)職責、同末尾に※印を付したのは長官退任後に大蔵事務次官を務めたことを指す。
代 | 氏名 | 前職 | 在任期間 | 退任後の主要な役職 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | 高橋衞 | 広島財務局長 | 1949年6月1日 - 1952年12月27日 | 参議院議員、経済企画庁長官 | |
2 | 平田敬一郎 | 主税局長 | ※ | 1952年12月27日 - 1955年7月19日 | 日本開発銀行総裁 |
3 | 阪田泰二 | 理財局長 | 1955年7月19日 - 1956年7月6日 | 日本専売公社総裁 | |
4 | 渡邊喜久造 | 主税局長 | 1956年7月6日 - 1957年11月15日 | 公正取引委員会委員長 | |
5 | 北島武雄 | 管財局長 | 1957年11月15日 - 1960年4月12日 | 北海道東北開発公庫総裁 公正取引委員会委員長 |
|
6 | 原純夫 | 主税局長 | 1960年4月12日 - 1962年5月1日 | 東京銀行頭取、会長 | |
心得 | 白石正雄 | (国税庁次長) | 1962年5月1日 - 1962年5月16日 | 会計検査院長 | |
7 | 木村秀弘 | 防衛庁経理局長 | 1962年5月16日 - 1965年2月5日 | 日本専売公社総裁 | |
8 | 吉岡英一 | 理財局長 | 1965年2月5日 - 1965年11月16日 | 日本開発銀行総裁 | |
9 | 泉美之松 | 主税局長 | 1965年11月16日 - 1968年6月7日 | 日本専売公社総裁 | |
10 | 龜徳正之 | 大臣官房長 | 1968年6月7日 - 1969年8月6日 | 協栄生命保険社長、会長 学校法人東洋英和女学院理事長 |
|
11 | 吉國二郎 | 主税局長 | ※ | 1969年8月6日 - 1972年6月27日 | 横浜銀行頭取、会長 |
12 | 近藤道生 | 銀行局長 | 1972年6月27日 - 1973年6月26日 | 博報堂社長、会長 | |
13 | 安川七郎 | 日本銀行政策委員会委員 | 1973年6月26日 - 1975年7月8日 | 日本債券信用銀行頭取 | |
14 | 中橋敬次郎 | 主税局長 | 1975年7月8日 - 1976年6月11日 | 国土事務次官 地域振興整備公団総裁 |
|
15 | 田邊博通 | 銀行局長 | 1976年6月11日 - 1977年6月10日 | 沖縄振興開発金融公庫理事長 | |
16 | 磯邊律男 | 東京国税局長 | 1977年6月10日 - 1980年6月17日 | 博報堂社長、会長 | |
17 | 渡部周治 | 東京国税局長 | 1980年6月17日 - 1982年6月1日 | 関西電力副社長、関電産業社長 | |
18 | 福田幸弘 | 主税局長 | 1982年6月1日 - 1983年6月7日 | 参議院議員 | |
19 | 水野繁 | 証券局長 | 1983年6月7日 - 1985年6月25日 | 日本たばこ産業社長 整理回収銀行社長 学校法人東京経済大学理事長 |
|
20 | 梅澤節男 | 主税局長 | 1985年6月25日 - 1987年6月23日 | 公正取引委員会委員長 | |
21 | 窪田弘 | 理財局長 | 1987年6月23日 - 1988年12月27日 | 北海道東北開発公庫総裁 日本債券信用銀行頭取、会長 |
|
22 | 水野勝 | 主税局長 | 1988年12月27日 - 1990年6月29日 | 日本たばこ産業社長 | |
23 | 角谷正彦 | 証券局長 | 1990年6月29日 - 1991年6月11日 | 中小企業金融公庫総裁 | |
24 | 尾崎護 | 主税局長 | ※ | 1991年6月11日 - 1992年6月26日 | 国民金融公庫総裁 国民生活金融公庫総裁 |
25 | 土田正顯 | 銀行局長 | 1992年6月26日 - 1993年6月25日 | 東京証券取引所理事長、社長 | |
26 | 濱本英輔 | 主税局長 | 1993年6月25日 - 1994年7月1日 | 北海道東北開発公庫総裁 全国労働金庫協会理事長 ロッテ副社長 千葉ロッテマリーンズ社長 |
|
27 | 寺村信行 | 銀行局長 | 1994年7月1日 - 1995年5月26日 | 国家公務員共済組合連合会理事長 | |
28 | 小川是 | 主税局長 | ※ | 1995年5月26日 - 1996年1月5日 | 日本たばこ産業会長、横浜銀行頭取 |
29 | 日高壮平 | 証券局長 | 1996年1月5日 - 1997年7月15日 | 金融情報システムセンター理事長 | |
30 | 竹島一彦 | 経済企画庁長官官房長 | 1997年7月15日 - 1998年1月30日 | 内閣官房副長官補 公正取引委員会委員長 |
|
心得 | 舩橋晴雄 | (国税庁次長) | 1998年1月30日 - 1998年1月31日 | 国土交通審議官 | |
31 | 薄井信明 | 主税局長 | ※ | 1998年1月31日 - 1999年7月8日 | 国民生活金融公庫総裁 |
32 | 伏屋和彦 | 金融企画局長 | 1999年7月8日 - 2001年7月10日 | 内閣官房副長官補、会計検査院長 | |
33 | 尾原榮夫 | 主税局長 | 2001年7月10日 - 2002年7月9日 | 国家公務員共済組合連合会理事長 | |
34 | 渡辺裕泰 | 財務総合政策研究所長 | 2002年7月9日 - 2003年7月8日 | 早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授 | |
35 | 寺澤辰麿 | 理財局長 | 2003年7月8日 - 2004年7月2日 | 独立行政法人都市再生機構理事長代理 駐コロンビア大使 |
|
36 | 大武健一郎 | 主税局長 | 2004年7月2日 - 2005年7月13日 | 商工組合中央金庫副理事長 | |
37 | 木村幸俊 | 関税局長 | 2005年7月13日 - 2006年7月28日 | 損害保険料率算出機構副理事長 商工組合中央金庫副理事長 |
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38 | 福田進 | 主税局長 | 2006年7月28日 - 2007年7月10日 | 社団法人日本損害保険協会副会長 内閣官房副長官補 |
|
39 | 牧野治郎 | 財務総合政策研究所長 | 2007年7月10日 - 2008年7月4日 | 損害保険料率算出機構副理事長 | |
40 | 石井道遠 | 財務総合政策研究所長 | 2008年7月4日 - |
国税庁長官表彰(国税庁長官賞・国税庁長官感謝状含む) [編集]
国税庁長官は、納税功労に対し表彰する最高の納税表彰として納税意識の高揚等、税務行政の円滑な運営に尽力に尽力した者に国税庁長官表彰を授与する。これに準ずる表彰として、国税局長表彰、税務署長表彰がある。 また、税に関する作文コンクールなどでも国税庁長官賞を授与することがある。 また、法人会等の運営に対する発展に寄与した功労者などには国税庁長官感謝状を贈られる。
その他の出身者 [編集]
- 品川芳宣:元高松国税局長、元筑波大学大学院教授、早稲田大学大学院教授
- 岡田至康:初代国税庁長官官房国際業務課長、元国税庁長官官房審議官、移転価格税制の専門家、税理士法人中央青山顧問、中央青山租税戦略研究所長
- 川田剛:元仙台国税局長、税理士、国士舘大学教授
- 野村興児:元国税庁調査査察部長、山口県萩市長
- 平岡秀夫:元国税庁課税部法人税課長、衆議院議員(山口2区・民主党)
- 三浦正顕:元次長、元国民金融公庫理事、元三傳商事社長
- 山村紅葉:女優
関連書籍 [編集]
- 落合博実『徴税権力~国税庁の研究』(文藝春秋、2006年)ISBN 9784163687408
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
サラリーマン税金訴訟
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最高裁判所判例 | |
---|---|
事件名 | 所得税決定処分取消請求事件 |
事件番号 | 昭和55(行ツ)15 |
1985年(昭和60年)3月27日 | |
判例集 | 民集39巻2号247頁 |
裁判要旨 | |
|
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大法廷 | |
裁判長 | 寺田治郎 |
陪席裁判官 | 藤崎萬里 木下忠良 塩野宜慶 伊藤正己 谷口正孝 大橋進 木戸口久治 牧圭次 和田誠一 安岡満彦 角田礼次郎 矢口洪一 島谷六郎 長島敦 |
意見 | |
多数意見 | 全員一致 |
意見 | なし |
反対意見 | なし |
参照法条 | |
憲法14条1項、所得税法(昭和40年法律第33号による改正前のもの)9条1項、所得税法(昭和40年法律第33号による改正前のもの)10条2項、所得税法の一部を改正する法律(昭和39年法律第20号)附則 | |
サラリーマン税金訴訟(さらりーまんぜいきんそしょう)とは、所得税法の課税規定が給与所得者に不利であることを理由に課税処分の取り消しを求めて争われた裁判。原告の名前を取って大島訴訟とも言う。(最判昭60.3.27民39.2.247)
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概要 [編集]
私立大学の教授であった原告は、昭和39年分の所得に給与所得と雑所得があったが、確定申告をしなかったので、税務署長はこれを加算した決定と、無申告加算税の賦課決定処分をした。原告はこれを日本国憲法第14条第1項(法の下の平等)に違反し、したがって本処分も無効だとして出訴した。
原告の論点は以下の3つである。
- 所得税法が事業所得者には必要経費の控除を認めるのに対し、給与所得者にはそれを認めないのは不公平である。
- 給与所得と他の所得で所得の捕捉率に格差があり、給与所得者は不利益な扱いを受けていること。
- 他の所得者には各種の特別措置が設けられており、給与所得者は不公平な税負担を負っている。
一審京都地方裁判所、二審大阪高等裁判所とも原告の請求棄却。原告は上告審係属中に死亡したため、原告の子が裁判を承継した。
最高裁判所判決 [編集]
昭和60年3月27日大法廷判決は、原告の上告を棄却した。
- 「旧所得税法が必要経費の控除について事業所得者等と給与所得者との間に設けた前記の区別は、合理的なものであり、憲法一四条一項の規定に違反するものではない」
- 「所得の捕捉の不均衡の問題は、原則的には、税務行政の適正な執行により是正されるべき性質のものであつて、捕捉率の較差が正義衡平の観念に反する程に著しく、かつ、それが長年にわたり恒常的に存在して租税法制自体に基因していると認められるような場合であれば格別……そうでない限り、租税法制そのものを違憲ならしめるものとはいえない」
- 「仮に所論の租税優遇措置が合理性を欠くものであるとしても、そのことは、当該措置自体の有効性に影響を与えるものにすぎず、本件課税規定を違憲無効ならしめるものということはできない。」
なお、本判決には伊藤正己をはじめ4裁判官が補足意見を述べており、2裁判官が伊藤の意見に同調している。
その他 [編集]
なお、似たケースで、総評の指導の下に全国各地で提起された所得税返還請求訴訟については、「総評サラリーマン税金訴訟」と呼ばれる。これについては1件のみが上告審まで争われ、原告である労働者側が敗訴している(最高裁判所平成元年2月7日判決)。
判例評釈 [編集]
参考文献 [編集]
- 北野弘久『サラリーマン税金訴訟』(税務経理協会)
外部リンク [編集]
旭川市国保料訴訟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
最高裁判所判例 | |
---|---|
事件名 | 国民健康保険料賦課処分取消等請求事件 |
事件番号 | 平成12年(行ツ)第62号、同年(行ヒ)第66号 |
2006年(平成18年)3月1日 | |
判例集 | 民集60巻2号587頁 |
裁判要旨 | |
国民健康保険料の保険料率について、具体的に条例で定めずこれを告示に委任しても、憲法84条の趣旨に違反しないとされた事例 | |
大法廷 | |
裁判長 | 町田顯 |
陪席裁判官 | 濱田邦夫 横尾和子 上田豊三 滝井繁男 藤田宙靖 甲斐中辰夫 泉德治 島田仁郎 才口千晴 津野修 今井功 中川了滋 堀籠幸男 古田佑紀 |
意見 | |
多数意見 | 全員一致 |
意見 | なし |
反対意見 | なし |
参照法条 | |
憲法84条、14条、25条など | |
旭川市国保料訴訟(あさひかわしこくほりょうそしょう)とは、旭川市国民健康保険の一般被保険者である杉尾正明が、平成6年度分から平成8年度分の保険料について、条例で保険料率を定めず、これを告示に委任することが、租税法律主義を定める憲法84条またはその趣旨に反するなどとして、賦課処分の取消しを求めるとともに、同市の条例が恒常的に生活が困窮している者を保険料の減免の対象としていないことが生存権を定める憲法25条や法の下の平等を定める憲法14条に違反するとして、減免非該当処分の取消しを求めた訴訟である。最高裁大法廷は、平成18年3月1日原告の主張を退け、憲法に違反しないとした。なお、この訴訟は本人訴訟で最高裁まで争った訴訟としても有名である。
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法令の定め [編集]
旭川市国民健康保険条例(本件条例)における保険料率の定め方は、具体的な保険料率の定めは市長の告示に委任されていて、具体的な保険料率は条例においては規定されておらず、その代わり保険料率の算定方法を定めるのみであった。
事件の経緯 [編集]
被告である旭川市は平成6年7月14日、原告である杉尾正明氏に対し平成6年度分の国民健康保険料納付通知書を送付した。原告は、平成6年8月、自らの平成5年の収入は生活保護基準以下の収入であったことを理由に平成6年分の保険料の減免を申請したが、同月10日付で非該当の通知がされた。原告は、その後不服申立て手続等を経て、旭川地方裁判所に対し、平成6年度分から平成8年度分の保険料の賦課処分の取消しを主位的に求めるとともに、保険料の減免非該当処分の取消しを予備的に求めた。第1審(森邦明裁判長)は、本件条例は憲法92条及び84条に違反するとして賦課処分を取消したが、控訴審の札幌高等裁判所(濱崎浩一裁判長)は、租税法律主義をさだめた憲法84条が国民健康保険料には直接適用されず、その趣旨にも反せず、また、減免非該当処分も憲法25条に違反しないとして、原告の請求を退けた(平成7年度分については不服申立てを経ていないとして訴えを却下)。
これに対し、原告が最高裁に上告及び上告受理申立てを行い、平成18年3月1日最高裁大法廷が以下のような判決を言い渡した。
判旨(最高裁平成12年(行ツ)第62号、同年(行ヒ)第66号平成18年3月1日大法廷判決) [編集]
全員一致。上告棄却。
租税条例主義の適用について [編集]
- 国又は地方公共団体が、課税権に基づき、その経費に充てるための資金を調達する目的をもって、特別の給付に対する反対給付としてではなく、一定の要件に該当するすべての者に対して課する金銭給付は、その形式のいかんに関らず、憲法84条に定める租税に当たる。
- 市町村が行う国民健康保険の保険料は、被保険者において保険給付を受け得ることに対する反対給付として徴収されるものであるから、憲法84条の規定が直接に適用されることはない(国民健康保険税は形式が税である以上憲法84条の規定が適用される)。
- 租税以外の公課であっても、賦課徴収の強制の度合い等の点において租税に類似する性質を有するものについては、憲法84条の趣旨が及ぶ。
- その場合であっても、賦課要件が法律又は条例にどの程度明確に定められるべきかなどのその規律の在り方については、当該公課の性質、賦課徴収の目的、その強制の度合い等を総合考慮して判断すべきである。
- 市町村が国民健康保険の保険料も、憲法84条の趣旨が及ぶが、条例において賦課要件をどの程度明確に定めるべきかは、賦課徴収の度合いのほか、社会保険としての国民健康保険の目的、特質等をも総合考慮して判断する必要がある。
- 本件条例は、保険料率算定の基礎となる賦課総額の算定基準を明確に規定したうえで、その算定に必要な費用及び収入の各見込額並びに予定集能率の推計に関する専門的及び技術的な細目にかかわる事項を、市長の合理的な選択にゆだねたものであり、上記見込額の推計については国民健康保険事業特別会計の予算及び決算の審議を通じて議会による民主的統制が及ぶものということができるから、本件条例が、保険料率算定の基礎となる賦課総額の算定基準を定めた上で、市長に対し、同基準に基づいて保険料率を決定し、決定した保険料率を告示の方式により公示することを委任したことが憲法84条の趣旨に反するということはできない。
- 賦課総額の算定基準及び保険料率の算定方法は、本件条例によって賦課期日まで明らかにされており、恣意的な判断が加わる余地はなく、賦課期日後に決定されたとしても法的安定性が害されるということはできないから、市長が各年度の賦課期日後に保険料率を告示したことは憲法84条の趣旨に反するとはいえない。
憲法25条違反の主張について [編集]
- 国民健康保険法は恒常的に生活が困窮している状態にある者を生活保護法による医療扶助等の保護を予定しているなどの事情の下で本件条例が恒常的に生活が困窮している状態にある者を保険料の減免の対象としていないことは、著しく合理性を欠くということができず、経済的弱者について合理的な理由なく差別をしたものということができないから、憲法25条、14条に違反しない。
個別意見 [編集]
- 裁判官滝井繁男の補足意見
意義 [編集]
本件は、租税以外に関して租税法律主義がどこまで適用されるかについて、最高裁判所が初めて下した判決で、実務上重要な意義を有すると思われる。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
国民健康保険料賦課処分取消等請求事件(平成18年03月01日 最高裁判決 判例検索システム)