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ネットワーク外部性
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ネットワーク外部性(ネットワークがいぶせい)とは、電話などのネットワーク型サービスにおいて、加入者数が増えれば増えるほど、1利用者の便益が増加するという現象である。利用者が増えることによって、ますます利用者が増えるという、正のフィードバックが発生する。
例えば電話網への最初の加入者の便益は明らかにゼロである。2人目の加入者には、1人目の加入者と通信ができるという便益があるため、この便益を加入に伴い費用と比較して、実際に加入するかどうかを決定することができる。しかしながら2人目の加入が1人目の加入者に与える便益は考慮されないため、ここに外部性が存在する。
同様に、3人目の加入者は、先の2人と通信できるという便益と加入の費用とを比較して、実際に加入するかどうかを決定することができる。しかしながら3人目の加入者が先の2人に与える便益は考慮されないため、ここにも同じく外部性が存在する。
ネットワーク外部性は、消費者が同種の財の消費者に与える外部経済という意味で、アメリカの経済学者、ハーヴェイ・ライベンシュタインがバンドワゴン効果と呼んだものと同じ性質を持っているといえる。ネットワーク外部性が存在する場合、新規加入者にとっての便益は既存加入者の数に依存するために、加入者数の少ない間はなかなか普及しないが、加入者数がある閾値を超えると一気に普及するといった現象が発生する。
関連項目 [編集]
政治経済学部
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政治経済学部(せいじけいざいがくぶ)は、政治学・経済学を中心として社会科学を学ぶ大学の学部である。政経学部を正式名称としている大学もある。
概要
政治経済学部を最初に発足させたのは、早稲田大学である。同大学は、ドイツの慣習に合わせて、政治学を法学部の一部門と捉える考え方が主流であったなか、イギリスの慣習を採用して、経済学とともに政治を学ぶ学部として「政治経済学部」を発足させた、と主張している。しかし、そもそも当時のイギリスにおいて経済学(political economy)は存在したが、政治経済学部はおろか政治経済学という概念さえ存在しなかったことからこの主張には無理がある。一般的に、政治学と経済学は北米でもドイツ、フランス、イギリスでも全く別の学問体系と捉えるのが主流であり、現在政治経済学部がある国は日本と大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国のみである。このことから政治経済学部は世界的に見て極めて特殊な学部と言える。
例外としてロンドン大学のLSEの正式名称はLondon School of Economics & Political Scienceとなっており日本における政治経済学部と近い学問構成となっているがLSEの設立は1895年であるので、1882年に開校した東京専門学校(早稲田大学の前身)の政治経済学科がこれを参考にしたことは考えにくい。
日本で政治経済学部という特殊な学部が設置された背景としては、次の事実が考えられる。当時日本においては近代化の過程で様々な外来語が翻訳されており、学問名も例外ではなかった。当時イギリスの大学では経済学をeconomyではなく、political economyの古称を使用していた。これも勿論「経済学」と訳すのだが、当時北米ではすでに経済学といえばeconomyとのみ記述するのが普通で、これらの事実を総合すると北米流のeconomyと区別するためにpolitical economyを「政治経済学」と誤訳し、あたかも北米やドイツの経済学とは別の学問体系が存在すると誤解したといえる。
その後、学習院大学と明治大学が早稲田大学に習って政治経済学部を設けたが、学習院大学ではそのわずか11年後の1964年 政経学部を法学部(法学科、政治学科)と経済学部(経済学科)に改組している。 第二次世界大戦後において早稲田大学と明治大学の政治経済学部は異なる特色を持つようになる。早稲田大学政治経済学部では行政学と近代経済学を主とし、明治大学政治経済学部は社会学とドイツ歴史学派経済学を主とした学問体系を築いた。いずれも経済学か政治学に属し、政治経済学と呼ぶべき新たな学問体系を創造するには至っていない。
その後は、どの大学でも政治学と経済学の両方を学べる学部という位置づけになっており、経営学まで網羅している大学もある。
早明間の政治経済学論争
早明両大学は古くから政治経済学部を持っていたこともあり、学問的対立が存在した。特に経済学の分野では学問体系が対立関係にあることからこの二学部に所属する学者の間で経済学論争が起き、旧来から継承されていた近代経済学と歴史学派経済学の根本的、具体的議論が繰り広げられた。
両大学ともに、学生運動の時期はマルクス経済学が主導権を握っていたこともあったが、冷戦構造の終焉を経て近代経済学の確立が目指されることになった。
具体的な論争内容は、60年代以降の学生を中心とした「政治経済学研究会」や教授陣の論文雑誌である「政経論叢」において中心の論点となった事項が数点挙げられる。
- 経済学は、状況に適応した施策を求めるものであるのか(早稲田)、理論追求のものであるべきか(明治)という点。これはまさに景気動向に配慮した形で適応的に政策を実行すべきか、貧富の格差の是正など社会的不安の払拭という思想的理念を政策に移すのかという、対立が存在した。
- 政治経済学に関する議論。早稲田では政治学と経済学の範疇をより専門化、実証化させるべきであるとの合理主義的立場を重視し、明治では社会学や人類学を背景とした、より広範な視点を摂取しながら、政治学と経済学の確立をすべきであるとの理念的立場を重視した。この近代の代表的な構図は、アメリカのコロンビア大学(専門化重視)とシカゴ学派(広範性重視)の違いを反映している。しかし、シカゴ学派には早稲田の藤原保信の政治学がその系統を担っていたし、アメリカの新古典派経済学の実証主義経済政策論を明治で教授した赤松要の流れをくむ赤松学派が存在していたため、政治経済学の対立は、部分的であったという評価もある。明治大学の後藤昭八郎や毛馬内勇士はその後継者であり、日本経済政策学会の理事をつとめており、その中心的存在である。
- マーシャル経済学の日本流入以後、経済学の方法論を合理的認識のもとに置くか、理念的認識のもとに置くかという議論。早稲田は戦後以降、アメリカで進展を見る新古典派経済学を吸収し教育に活かしたのに対し、明治はドイツ系経済学、わけてもマックス・ヴェーバーの歴史学派経済学やシュモラーの歴史学派経済学を重視している。これも、もう一つの対立構図である。特に早稲田の実証的経済学の導入は効果的であった。明治は歴史学的・解釈学的方法論を主とした研究を追究するべきとの考えから、早稲田とは別の独自路線を歩んでいくことになる。
現在では明治大学政治経済学部でも近代経済学が主であり、マルクス経済学系の教員は一名である。これは早稲田大学政治経済学も同様である。カリキュラムを見ても「社会主義経済学」、「ロシア東欧政治論」が必修ではない「応用科目」として存在している程度である。(注:「社会主義経済学」は現在、担当教員が居らず休講中である。)また明治大学では地域行政学科が設置され、行政学にも力を入れるようになっている。
1990年代以降、国際弁護士でエコノミストの湯浅卓等をオブザーバーとして多くのシンポジウムやディスカッションを両大学のゼミ連携で行っており、大学間の論争は影を潜めている。今日的には環境学・平和学の展開を背景にレギュラシオン学派を引く経済理論の考究の様相も呈している。政治学においては、早稲田大学名誉教授の内田満や明治大学名誉教授の岡野加穂留との共著出版や大学間兼担講師を相互に引きうけるなど、むしろ協調的交流さえうかがえる。対立構図はなくなった。
なお現在では、近代経済学においては早稲田と明治ともにほぼ同数の教員が揃っている。それらの教員は、早稲田大学では大和瀬達二、明治大学では池田一新の後継者である。大和瀬は寡占理論の権威であり、また池田はシュタッケルベルクの愛弟子にあたる。大和瀬はE・シュナイダー、池田はシュタッケルベルクの翻訳を日本でいちはやく行なったことで知られている。大和瀬はその著『寡占価格の理論』で早稲田大学経済学博士、池田はその論文「不完全競争理論の体系化のための試論」で明治大学経済学博士となっている。さらに、現在では早明ともにそれぞれマルクス経済学の教員を一名しか置いておらず、早稲田では藤森頼明、明治では飯田和人が講義・研究にあたっている。これらの実態を踏まえると、早明政経論争はもはや過去のものとなっており、現在ではそのような論争を知らない世代の若手教員も多くなってきている。
他大学の状況
早明間では学者間の論争を中心とした学問体系となっていたが、他の大学の政治経済学部は政治学・経済学を結合させた研究・教育を行うという立場を取っていた。
早明以外ではもっとも古い政経学部を持つ拓殖大学(第二次世界大戦前には専門部という名称であった)はもともと台湾への入植者に関する教育を実施する大学であったことから学問的な論点もさることながら実際に拓殖地においてどのように行政と経営を実施するかということを研究・教育する学問体系を取っていた。さらにこうした視点から法学まで内包した科目体制を取っており、現在でも法学は政治学の一分野としてのカリキュラム編成がなされ、学科名は法律政治学科である。
また、戦後の開設となる東海大学と国士舘大学では早くから経済学と政治学を有機的に連携させる体制を取っており、現在多くの大学が目指している学際志向を当初から持っていたといえる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E9%83%A8
分類 [編集]
経済学は、次のような分野に分類される。
学派 [編集]
- 古典派経済学
- マルクス経済学(講座派、労農派、宇野経済学)- 進化経済学
- ケインジアン - ニュー・ケインジアン
- 新古典派経済学 - シカゴ学派 - マネタリスト - サプライサイド経済学 - 新しい古典派 - 新制度派経済学
- ゲーム理論・計量経済学
経済理論 [編集]
ここでは方法論としての理論を紹介する。なお経済学は専門ごとに理論と応用とに別けられるわけでなく、専門の中にも理論と応用が存在する。
ミクロ経済学 - マクロ経済学 - 計量経済学 - ゲーム理論 - 行動経済学・実験経済学 - 複雑系経済学 - 経済物理学
専門分野 [編集]
国際 [編集] 国際経済学 - 貿易理論 - 国際金融論
成長 [編集] 経済成長論 - 開発経済学
数量 [編集] 計量経済学 - 数量経済史
金融 [編集] 貨幣理論 - 金融理論 - 金融工学
数学 [編集] 数理経済学 - 経済統計学
法・契約 [編集] 法と経済学 - 契約理論
公正 [編集] 厚生経済学 - 社会選択理論 - メカニズムデザイン(制度設計) - 消費者政策
産業 [編集] 産業組織論
公共・公益 [編集] 公共経済学 - 財政学 - 租税論 - 教育経済学 - 社会政策論 - 公共選択論 - 比較制度分析
労働 [編集] 労働経済学
情報 [編集] 情報経済学
地理・空間 [編集] 経済地理学 - 空間経済学 - 都市経済学
環境 [編集] 環境経済学 - 農業経済学
歴史・思想 [編集] 経済史 - 経済思想史 - 経済学史 - 社会思想史
その他 [編集] 文化経済学 - 経済人類学 - 医療経済学 - 交換理論 - 共生経済学
経済学における主な用語・概念 [編集]
需要と供給 - 有効需要 - レッセフェール - IS-LM曲線 - AD-AS曲線 - インフレーション - デフレーション - スタグフレーション - ジニ係数 - ローレンツ曲線 - フィリップス曲線 - ラッファー曲線 - トリクルダウン理論 - 限界効用 - セイの法則 - エンゲル係数 - 費用対効果 - 一般均衡理論 - リアルビジネスサイクル理論 - 生産集合 - 無差別曲線
外部リンク [編集]
脚注欄 [編集]
- ^ Myreson, R. B. 1999 Nash Equilibrium and the History of Economic Theory. Journal of Economic Literature, 37, no. 3, pp. 1067-1082
経済学
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概要 [編集]
経済学の最も古い定義は、アダム・スミスの『諸国民の富の性質と原因の研究』によるものである。
政治家や議員にとっての科学分野と看做されている経済学は、2つのちがったものを提示する。一つは、人々に豊富な利益ないしは製品を供給し、更には利益や必需品がキチンと人々に益を齎すようにする方法を。あと一つは、そうした収益を国ないしは社会にサービスとして提供し、結果として人々と統治者を豊かにする手立てである。
一番有名で多くの人々に支持されている定義は、ライオネル・ロビンズが1932年に『経済学の本質と意義』で最初に問題提起したものだと言われている。
他の用途を持つ希少性ある経済資源と目的について人間の行動を研究する科学が、経済学である。
言い換えるなら、希少性のある資源を如何に効率的・合理的に配分するかを扱い、其処へは道徳や価値判断は一切入らないというのがロビンズの論旨である。しかし、こうした定義にはケインズやコースらからの批判もある。経済問題は性質上、価値判断や道徳・心理といった概念と分離する事は不可能であり、経済学は本質的に価値判断を伴う倫理学であって、科学ではないというものである。
一方でとりわけゲーム理論の経済学への浸透を受けて、経済学の定義は変化しつつある。例えばノーベル賞受賞者ロジャー・マイヤーソンは、今日の経済学者は自らの研究分野を以前より広く全ての社会的な制度における個人のインセンティヴの分析と定義できると述べている。[1]このように現在では、資本主義・貨幣経済における人や組織の行動を研究するものが中心となっている。広義においては、交換、取引、贈与や負債など必ずしも貨幣を媒介としない、価値をめぐる人間関係や社会の諸側面を研究する。このような分野は人類学(経済人類学)、社会学(交換理論)、政治学(公共選択論・合理的選択理論)、心理学(行動経済学)と隣接する学際領域である。また労働、貨幣、贈与などはしばしば哲学・思想的考察の対象となっている。但し、経済システムの働きに深く関わる部分については経済思想と呼ばれ、経済学の一分野として考えられることも多い。
特徴 [編集]
科学性 [編集]
自然科学に比べ不確定要素の大きい人間が深く関わる物が研究対象である性質上、数理的理論・実験が困難な分野が多い人文科学・社会科学の中において、特に積極的な数理的検証を試みている事が挙げられる。そうした性質から、経済学は物理学が「自然科学の王」と呼ばれているのに対し社会科学の女王と呼ばれている。また経済学においては、現実の経済現象の観察、モデル構築、検証という一連の循環的プロセスによる研究方法が確立しているため、分野によっては非常に科学的な学問と言える。
数理的理論・理論 [編集]
解析・代数・ゲーム理論を多用し古典力学の影響を色濃く受けている。現代になるまでは統計データが扱い難く実証が困難であり、このため経済学では数学を多用した論理的積み上げが大きく発展した。現在の経済学が使う数学のレベルは極めて高く、物理学者マレー・ゲルマンをして「彼らの数学的教養には舌を巻いた」と言わしめた。その数学的親和性の高さから確率微分方程式など数学におけるブレイクスルーが経済学に大きく影響を与えることもある。そのためフォン・ノイマンやジョン・ナッシュなどの数学者や理論物理学者による経済学での貢献、クープマンスやマイロン・ショールズなど数学畑、物理畑、工学畑出身の経済学者は珍しくない。
実験・実証 [編集]
統計学において経済関連の統計が主流分野として立脚していること、統計学者や経済学者と統計学者を兼ねる者が両分野の発展に大きく貢献してきたことを知れば一見なように、古くから社会全体を実験室に見立てて統計学を使い裏付ける方法が経済学において多用され影響を与えてきた。実証の現代の新潮流にはダニエル・カーネマン、エイモス・トベルスキー、バーノン・スミスなど心理学、認知科学(認知心理学)の流れをくみ行動実験を用いて消費者行動を裏付ける方法が強力な道具として提供され急成長している。この流れから行動経済学、神経経済学という分野も心理学者と心理学的素養を持つ経済学者によって生み出されている。
政策 [編集]
経済学は、その誕生・分析対象が社会政治経済問題と不可分であったことから政策への提言として社会へ関わる機会が非常に多い。19世紀以降は、社会的な判断において経済学が不可欠となった。社会問題を対象としている性質からか、社会的不幸を予測する理論も多々生まれ「陰鬱な学問」とも呼ばれた。先駆的政策(事実上の実験)の過程と結果から新たな学問的問題を提起したソビエト連邦による社会主義建設は失敗し「壮大な社会実験」として総括されているが、この社会主義的政策が、第二次世界大戦後日本で採られた傾斜生産方式のように社会に有益な影響を与えたのも事実である。ちなみに近代経済学では傾斜生産方式の有用性について疑問符を投げかけている。マルクス主義経済学と対照をなす古典派経済学はイギリス帝国や20世紀初頭のアメリカの繁栄などで実証されたかにみえたが、世界恐慌や植民地帝国の解体によって軌道修正をよぎなくされる場面もあった。理論と結果への当てはめという試行錯誤が長く繰り返される中で経済学は発展し近代経済学の成立とあいなった、現代では一般的に経済学=近代経済学とされる。だが近代経済学もまだまだ問題が山積しているのは明白である。
1980年代からゲーム理論が積極的に取り入られるようになり、特にメカニズム・デザインと呼ばれる分野における成果はめざましい。具体的には、周波数オークションの設計、電力市場の制度設計、教育バウチャー制度の設計、臓器移植の配分問題の解決といったものが挙げられる。これらはいずれも経済学なくして解決できなかった問題であり、さらに経済学が現実の制度設計において非常に重要な役割を果たしていることの好例である。
経済学の対象 [編集]
有限な事物の分配・生産が対象であり人間が知覚できる有限性がなければ対象とはならない。例えば宇宙空間は未だに対象ではないが、東京に供給されるビル空間の量は対象である。その他にも人間行動の心理的要素や制度的側面も重要な研究対象である。また事実解明的分析と規範的分析に分けられる。前者は理論的に説明・判断できる分析であり、後者は価値判断や政策決定に使われる分析である。例えば「財政支出を増やすと失業が減少する」は真偽が判明する分析であるが、「財政支出を増やして失業が減少したほうが良い」は価値判断が絡む分析である。
歴史 [編集]
経済学は法学、数学、哲学などと比べて比較的新しい学問である。近世欧州列強の著しい経済発展と共に誕生し、その後資本主義経済がもたらしたさまざまな経済現象や経済システムについての研究を積み重ね、現代に至る。
重商主義学説 [編集]
経済についての研究の始まりはトーマス・マン(1571~1641)によって書かれた『外国貿易によるイングランドの財宝』や、ウィリアム・ペティ(1623~1687)の『租税貢納論』、バーナード・マンデヴィル(1670~1733)の『蜂の寓話』、ダニエル・デフォー(1660~1731)の『イギリス経済の構図』、デイヴィッド・ヒューム(1711~1776)の『政治論集』などに見られるような重商主義の学説である。この時代には欧州列強が海外植民地を獲得し、貿易を進めて急速に経済システムを発展させていた。
重農主義学説 [編集]
1758年にフランスの重農主義の学派フランソワ・ケネー(1694~1774)が『経済表』を書き、国民経済の再生産システムを解明して、経済学の体系化の発端となった。
イギリス古典派経済学 [編集]
1776年にアダム・スミスにより資本主義工場生産について論じた『国富論』 (The Wealth of Nations)が書かれ、これが現在の理論化された経済学の直系で最古の理論に当たる。そのためスミスは経済学の父と呼ばれている。経済学では一般的に『国富論』を持って始まりとされる。またデイヴィッド・リカード(1772~1823)の『経済学および課税の原理』、マルサス(1766~1834)の『人口論』や『経済学原理』、ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873)の『政治経済学原理』などがスミスに続いて英国古典派経済学の基礎を築いていった。
経済学の分裂 [編集]
しかし発展過程で大きく経済学は二系統に分かれていく。すなわち「資本主義経済の現象を数値化して分析する」という潮流を受け継いだ、当時イギリスやオーストリアなどで登場した「限界効用」学派を中心とした近代経済学、そして「資本主義の本質を労働価値説に基づいて分析する」という潮流を受け継いだマルクス経済学(政治経済学)である。この二派の系統は、思想的立場、分析手法、理論形態の違いにより対立的な関係のまま発展を続けることとなる。
近代経済学 [編集]
近代経済学はその後、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ(1798~1855)の『経済学の数学的一般理論の考察』や『経済学の理論』、レオン・ワルラス(1834~1910)の『純粋経済学要論』や『応用経済学研究』、カール・メンガー(1840~1910)の『国民経済原理』や『社会科学特に経済学の方法に関する研究』、アルフレッド・マーシャル(1843~1924)の『外国貿易と国内価値との純粋理論』や『経済学原理』、ジョン・メイナード・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』、ヨーゼフ・シュンペーターの『理論経済学の本質と主要内容』や『経済発展の理論』、などの研究を通じて発展していくこととなる。
マルクス経済学 [編集]
一方マルクス経済学はまずカール・マルクスの『資本論』や『剰余価値学説史』などを通じて英国古典派経済学の労働価値説を継承しつつ新たに価値論や剰余価値論を体系化して、その上で資本の種類を分類して単純再生産や拡大再生産などの資本の運動法則を解明した。このことによって資本主義経済の全体構造の把握を目指した。さらにマルクス経済学はフリードリヒ・エンゲルスの『国民経済学批判要綱』や『反デューリング論』、カール・カウツキー(1854~1938)の『カール・マルクスの経済学説』や『エルフルト要領解説』、ルドルフ・ヒルファーディング(1877~1941)の『金融資本論』、ローザ・ルクセンブルク(1870~1919)の『資本蓄積論』、レーニンの『ロシアにおける資本主義の発達』や『帝国主義論』、などの研究を通じて発展していく。
現代 [編集]
近代経済学とマルクス経済学は「冷戦」という現実政治の影響もあったため、長期間にわたって対立してきた。ソ連崩壊・冷戦終了時には、マルクス経済学に対する否定的研究が数多く行われ、非数理的・訓古主義的な性質が批判された。今日では、資本主義社会における「市場」というメカニズムに基礎を置く近代経済学が中心となり、「社会主義」を建前としている中華人民共和国やベトナム等でも近代経済学の研究が行われている状態である。
ただし、マルクス経済学が全否定されたわけではなく、一部は近代経済学に取り入れられている。また、アメリカを中心とした西側資本主義国で発展させられてきた近代経済学は、非歴史的・非文化的で数理モデル一辺倒な性質をマルクス経済学者やポストケインジアン等に指摘され、現在においては両者を学ぶことが求められているという声も存在する。なお、「環境破壊は現行経済制度の失敗である」として、マルクス経済学を基礎とした新しい経済制度を模索する環境経済学も登場しているが、経済学の正統な領域としては認められていない。
論争 [編集]
経済学は存在自体が社会・政治・経済・政策と不可分であるため、学術的な論争や政策的な論争など数多の論争を生み出し消化してきた。それによって経済学徒は他学徒に「傲慢である」と印象を与えてしまうほど非常に攻撃的な知的スタイルを形成している。論争は経済学にとって理論を洗練させブレイクスルーを起こす役割を担ってきた。このように経済学と論争は切り離すことはできない。ここでは経済学において歴史的に重要な意味を持った論争を取り上げる。
- 日本における論争
脚注欄 [編集]
- ^ Myreson, R. B. 1999 Nash Equilibrium and the History of Economic Theory. Journal of Economic Literature, 37, no. 3, pp. 1067-1082
1.ウィキペディアからの抜粋 (「情報の非対称性」)
●概説
経済学では、市場における各取引主体が保有する情報に差があるとき、その不均等な情報構造を情報の非対称性 (asymmetric information) と呼ぶ。情報の非対称性は、人々が保有する情報の分布に偏りがあり、経済主体間において情報格差が生じている事実を表している。
●研究の歴史
情報の非対称性を最初に指摘したのは、アメリカの理論経済学者ケネス・アローである。アローは1963年にアメリカの経済学会誌「アメリカン・エコノミック・レビュー」において「Uncertainty and the Welfare Economics of Medical Care(医療の不確実性と厚生経済学)」という論文を発表し、医者と患者との間にある情報の非対称性が、医療保険の効率的運用を阻害するという現象を指摘した。
情報の非対称性という用語は、アメリカの理論経済学者ジョージ・アカロフが1970年に発表した論文 "The Market for Lemons: Quality Uncertainty and the Market Mechanism" で初めて登場した。
この論文は中古車市場を例に、情報の非対称性が市場にもたらす影響を論じたもので、買い手が欠点のある商品とそうでないものを区別しづらい中古車市場では、良質の商品であっても他の商品と同じ低い平均価値をつけられてしまうことになる傾向があることを指摘し、これを売り手と買い手の情報の非対称性が存在する環境一般の問題とした。
レモンはアメリカの中古車業界で不良中古車を指す隠語で、ここから、このような市場はレモン市場と呼ばれるようになった。
●商品の取引における情報の非対称性
市場では売り手と買い手が対峙しているが、一般には売り手が保有する情報と買い手が保有する情報の間には大きな格差がある。例えばある商品を取引する状況を想定したとき、売り手は商品の品質に関する豊富な情報を所持している。
他方、買い手は商品の品質に関する情報をほとんど所持しておらず、売り手からの説明に依存するしかない。買い手は、商品の品質に関する情報について、商品を購入するまで完全には知りえない。そのため、売り手の説明に、買い手が納得できないという状況もしばしば発生し得る。
このように、取引・交換の参加者間で保有情報が対等ではなく、あるグループが情報優位者に、他方が情報劣位者になっている状況(情報分布にばらつきが生じている状況)が、情報の非対称性である。
情報の非対称性が存在する場合、取引の当事者のいずれか一方だけの不確実性が高くなる。情報の非対称性は、情報優位者にとって有利な結果をもたらし、市場の取引が円滑に進まなくなってしまう場合がある。
だが、情報の非対称性によって生じるこのような不平等な結果は、取引を始める前に予想できる。そのため情報格差が察知される場合には、情報劣位者は取引を拒否できる。 不平等な結果をもたらす取引には、手を出さない行動が最適な戦略だからである。結果として情報の非対称性が大きい場合には、市場の取引そのものが破綻し、市場の失敗を引き起こしてしまう。
2.他のサイトから抜粋した説明
以下の「情報の非対称性」についての記述はhttp://www5.cao.go.jp/seikatsu/koukyou/explain/ex06.htmlに掲載されていたものです。
「情報の非対称性とは、ある経済主体とある経済主体が、取引や契約などの何らかの関係にあるとき、一方の経済主体が他方の経済主体よりも多く情報を持っている、つまり、情報が偏在していることをいいます。これは双方に情報が完全に行き渡っていない、ということから、情報の不完全性としても知られています。
通常の経済学の理論によれば、最適な市場の結果をもたらすためには市場は完全競争市場でなくてはなりませんが、そのためには、その市場で取引する経済主体が互いに完全に情報を共有している必要があります。ある特定の経済主体に情報が偏在していると、これは正当な取引とはなりません。たとえば株式のインサイダー取引が処罰されるのはこの理由によります。情報の非対称性があれば、その市場は完全競争市場として機能することができず、いわゆる「市場の失敗」を引き起し、市場を歪んだものにします。このために政府の介入が必要であるとされます。
政府規制の問題を情報の非対称性の観点から論じるには、情報の非対称性を2つに分類することが便利でしょう。1つは、規制する政府と規制される企業の間で存在する情報の非対称性と、もう1つは、規制される企業と消費者の間で存在する情報の非対称性です。まず、規制する政府と規制される企業の間で存在する情報の非対称性について見ていくことにしましょう。たとえば政府が企業に価格規制を行う場合を考えましょう。最近の価格規制はプライス・キャップ制やヤードスティック規制などに見られるように多様化していますが、従来からレート・ベース方式で行われてきています。レート・ベース方式では、規制する政府は規制される企業の費用状態をくまなく把握し、それに基づいて価格を許認可します。ところが政府は実際に生産活動を行っている当事者ではないので、企業の内部の情報に精通しているわけではありません。そこで価格の許認可では、企業から出された報告に頼らざるを得ません。ここには費用に関する情報の非対称性が存在します。企業が正直であれば問題はありませんが、場合によっては、企業は自分に有利な許認可を得ようとして、故意に政府に一部の情報を流さなかったりすることなども考えられることです。このとき政府の規制は失敗するものとなります。
次に、規制される企業と消費者の間で存在する、情報の非対称性について考えて見ることにしましょう。さまざまな財・サービスを購入する消費者にとっては、1つ1つの財・サービスについてはいわば素人です。一方、個々の財・サービスを供給する企業はその財・サービスに関してはプロフェッショナルであるので、必然的に双方の間には情報の非対称性が存在します。企業はライバル企業の情報を把握してさまざまな価格戦略で消費者を獲得しようとする、消費者はいちいち全ての企業の動向を把握して価格を比較して購入しようとする時間や余裕がありません。そこで政府の料金規制が必要である、ということがよく言われます。
情報の非対称性の問題には情報公開のより一層の促進が重要です。規制する政府と規制される企業の間での情報の非対称性の問題に対しては、企業が正直に全ての情報を政府に提供せざるをえない仕組みを作ることが必要ですし、企業と消費者の間では、価格情報誌などの発行などによって、消費者に価格を周知徹底させるようなことができれば、情報の非対称性にかかわる問題は、より一層解決に向かうことでしょう。」