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論文作成のための準備作業として,収集した情報,調査したこと,現時点における自分の考えを整理してみたことなどを断片的に記したものである。
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風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律
通称・略称 風適法・風営法・風俗営業法・風俗営業適正化法・風営適正化法
法令番号 昭和23年7月10日法律第122号
効力 現行法
種類 行政法
主な内容 風俗営業に対する規制・適正化
関連法令 売春防止法児童ポルノ禁止法
条文リンク 総務省法令データ提供システム
  

風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(ふうぞくえいぎょうとうのきせいおよびぎょうむのてきせいかとうにかんするほうりつ)は、日本法律。略称は風適法(ふうてきほう)や風営法(ふうえいほう)など。

歴史 [編集]

  • 1948年 「風俗営業取締法」として制定
  • 1959年4月1日 「風俗営業等取締法」に題名改正
  • 1984年8月14日 大幅改正(1985年2月13日施行)
    題名を「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」に改正。営業時間は午前0時まで、のぞき部屋、ファッションマッサージなども届出対象となる。この影響でノーパン喫茶が姿を消す。
  • 1998年5月 大幅改正(一部の規定を除き1999年4月施行)
    出張マッサージなど無店舗型の営業や、インターネットでのアダルト映像送信営業が届出対象となる。
  • 2005年11月 大幅改正(一部の規定を除き2006年5月1日施行)
    • 罰則強化
    • 公安委員会に営業届を行い、届出確認書を店に備え、客や警察など関係者から提示を求められたら直ちにそれを提示しなければならない
    • 客引きに関しのため、人の前に立ちふさがる・つきまとうなどの行為も禁止
    • 派遣系ファッションヘルスデリヘル)に関しては、受付所や待機所なども店舗とみなされ、住所などの届出が必要とされ、営業禁止区域内にあるそれらの施設は摘発対象となる

概要 [編集]

風俗営業に関する営業時間、営業区域等を制限し、青少年の立ち入りを規制することにより、風俗業務の適正化を図ることを目的としている。

ただし、一部業種(例として、8号営業)において、1984年の新法制定時に「対象設備の概念が不明確であり、犯罪構成要件を規則等に委ねているため、罪刑法定主義に反し、違憲立法である」という批判があった[1]

なお、営業時間および営業区域は各都道府県の条例で定められることになっており[2]、地域によっては祭礼等で営業時間の延長が認められている[3]

この法律の第40条が定める全国風俗環境浄化協会とは、全国防犯協会連合会のことである。

対象 [編集]

飲食店で、午前0時から午前6時まで酒類を出さない店があるのは本法33条で規制されており、深夜における酒類提供飲食店営業を行うための届出をしていないためであることがある。また、ファミリーレストランが22時以降保護者同伴のない18歳未満の青少年の入店を禁止しているのは、本法32条(都道府県によっては青少年保護条例も)の規制のためである。

当初はダンス教室も4号営業で規制対象となっていたが、映画『Shall we ダンス?』に始まる社交ダンスの流行とともに愛好者や関連団体の努力があり、1998年に規制除外となった。

許可と届出 [編集]

上記の「風俗営業」を行う場合には、各都道府県の公安委員会の許可を要する。「性風俗特殊営業」および「深夜における酒類提供飲食店営業」を行う場合、公安委員会は許可をする立場でなく、届出をしてもらう。法律の改正時に性風俗特殊営業を許可制にするかどうか議論されたが、これらには違法な営業内容のものも多く、公安委員会が許可するのは適当でないこと、また無届営業が多いことからまずは届出制にして実態を把握することとされた。

関連項目 [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ 日本アミューズメントマシン工業協会による批判。赤木真澄『それは『ポン』から始まった』アミューズメント通信社 ISBN 4-9902512-0-2 317 - 318ページ。
  2. ^ 東京都における法律施行条例 - 東京都での営業時間および営業区域(警視庁、PDF形式)
  3. ^ 例として、石川県パチンコ店4月から5月にかけてのゴールデンウィーク6月金沢百万石まつりの期間中(金沢市内に限る)、8月旧盆12月21日から1月10日は午前1時までの営業が認められている。
  4. ^ a b 2005年10月27日の参議院内閣委員会における黒岩宇洋の質問によれば、許可を受けている5号営業は17店、6号営業は6店である。

外部リンク [編集]

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売春防止法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
売春防止法
通称・略称 売防法
法令番号 昭和31年5月24日法律第118号
効力 現行法
種類 刑法
主な内容 売春助長行為の処罰等
関連法令 風営法児童ポルノ禁止法
条文リンク 総務省法令データ提供システム
  

売春防止法(ばいしゅんぼうしほう;1956年5月24日法律第118号)とは、売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照らして売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずることによって、売春の防止を図ることを目的とする日本の法律である。この法律の制定に伴い1958年赤線が廃止された。

同法は、売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであるという基本的視点に立脚している(同条)。

沿革 [編集]

日本には、江戸時代以来の公娼制度が存在していたが、明治政府は、明治5年太政官布告第295号の芸娼妓解放令により公娼制度を廃止しようと試みた。しかし、実効性に乏しかったこともあり、1900年に至り公娼制度を認める前提で一定の規制を行っていた(娼妓取締規則)。1908年には非公認の売淫を取り締まることにした。

第二次世界大戦後の占領下において、当時のGHQ司令官から公娼制度廃止の要求がされたことに伴い、1946年に娼妓取締規則が廃止され、1947年に、いわゆるポツダム命令として、婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令(昭和22年勅令第9号)が出された。公娼制度は名目的には廃止されたが、赤線地帯は取り締まりの対象から除外されたため、事実上の公娼制度は以降も存続した。なお、一部の自治体は勅令とは別に、同時期に売春それ自体を処罰する条例を成立させている。その後、風紀の紊乱などを防止するため、全国的に売春を禁止する法規の必要性が論じられるようになった。

売春防止法の元祖は、1948年の第2回国会において、売春等処罰法案として提出されたものである。しかし、処罰の範囲等に関する合意の形成が不十分であったため、厳格すぎるとして審議未了、廃案となった。しばらく間を置いた後の1953年から1955年にかけて、第15回、第19回、第21回、第22回国会において、神近市子などの女性議員によって、議員立法として同旨の法案が繰り返し提出された。これらは多数決の結果、いずれも廃案となった。第22回国会では連立与党の日本民主党が反対派から賛成派に回り、一時は法案が可決されるものと思われたが、最終的には否決された。

1956年、第4回参議院議員通常選挙を控える中で、第24回国会が開催された。自由民主党は選挙に向けて女性票を維持および獲得しようとの狙いから、売春対策審議会の答申を容れて、一転して売春防止法の成立に賛同した。法案は5月2日に国会へ提出され、同月21日に可決した。売春防止法は翌年の1957年4月1日から施行されることになったが、刑事処分については1年間の猶予期間が設けられ、1958年4月1日から適用するものとされた。

法律が成立して以降、赤線業者は自由民主党国会議員に接近し、同法を撤回すべしとの説得を試みた。これに応える形で、自由民主党は1957年5月に風紀衛生対策特別委員会(略称:風対委)を設置し、審議の場とした。赤線業者は、転廃業のための満足な猶予期間および国家補償が必要であるとして、猶予期間の延長を求め、即時の施行に反対する姿勢を示した。また、自由民主党に対しては、全国で63の市町村長、1の県議会議長、37の市町村議会議長、25の自由民主党支部長、151の商工会議所から、法の完全な実施を延期すべきであるとの陳情書が提出された。

この頃、造船疑獄の捜査に失敗したことで汚名を被った東京地検特捜部は、花柳界の業界団体である全国性病予防自治会を糺弾することで、失われた威信を回復しようと計画していた。彼らは新宿二丁目で赤線業者を捜査した際に、貴重な資料となる帳簿を入手した。そして、1957年10月2日には全国性病予防自治会の事務局長、同月12日には理事長を、風紀衛生対策特別委員会の構成員に対する贈賄罪の容疑で逮捕した。この結果、風紀衛生対策特別委員会は、事実上の解散に追い込まれた。

1958年4月1日、売春防止法は施行における猶予期間を経過し、以降も売春の業を営む者に対しては刑事処分が課せられることになった。

定義、処罰対象 [編集]

本法にいう「売春」とは、「対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交すること」をいう(2条)。

ただし、上記のような売春やその相手方となることは禁止されているものの(3条)、それだけでは処罰されない。これは、売春に陥った者は処罰よりは救済を必要とする者であるとの観点で立法されていること、売買春はいわゆる被害者なき犯罪の一形態とされており刑罰で抑止をすることは過度のパターナリズムとなること、捜査方法いかんによっては証拠収集に微妙な問題をはらむこと等が理由とされる。

このため、本法で処罰の対象となるのは、以下のようなものである。

  • 公衆の目に触れる方法による売春勧誘等(5条)
  • 売春の周旋等(6条)
  • 困惑等により売春をさせる行為(7条)、それによる対償の収受等(8条)
  • 売春をさせる目的による利益供与(9条)
  • 人に売春をさせることを内容とする契約をする行為(10条)
  • 売春を行う場所の提供等(11条)
  • いわゆる管理売春(12条)
  • 売春場所を提供する業や管理売春業に要する資金等を提供する行為等(13条)

補導処分 [編集]

売春の勧誘等の罪(5条)を犯した者に対して、執行猶予付き懲役刑又は禁錮刑を科す場合は、その者を補導処分に付することができ(17条)、婦人補導院に収容されることにより、必要な補導がされる。

なお、婦人補導院は収容人員の減少により、2007年現在東京にしか存在しない。

関連項目 [編集]

アメリカ合衆国憲法修正第18条

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アメリカ合衆国憲法修正第18条Amendment XVIII)とは、飲料用アルコールの製造・販売等を禁止するかつてのアメリカ合衆国憲法の修正条項の一つ。

1933年修正第21条の批准によって廃止された。日本では、修正第18条とこの修正条項を実施するための法律であるボルステッド法(Volstead Act)とを明確に区別することなく禁酒法(きんしゅほう)と呼ぶことが多い。

経緯 [編集]

ピューリタン(清教徒)の影響が強かったアメリカ合衆国では、アルコールに対する強い批判があり、1851年メイン州で最初の禁酒法が制定されたのを皮切りとして20世紀初頭までに18の州で禁酒法が実施された。宗教的理由に加え、男性が(不健全な)酒場に入り浸り家庭生活に支障をきたすことに対する女性からの批判は大きく、女性を中心とする禁酒運動は根強く存在していた。そこに第一次世界大戦の開始に伴い戦時の穀物不足を予防するという経済的な動機が出現し、全国的な禁酒法制定への機運が盛り上がった。なお、そこには酒造・酒販業界を牛耳るドイツ系への反発感情もあったと見る向きもある。

禁酒法を全米に適用するには合衆国憲法の修正が必要となるため、修正案が連邦議会に提出された。修正第18条は、1917年12月18日に議会を通過した。ウィルソン大統領はアルコール度2.75%以下の酒類の除外を議会に働きかけたが失敗した。1919年1月16日に3/4の州(当時36州)による批准が完了し憲法修正条項が成立したが、既にこの時点で禁酒法導入の名分の一つとされた第一次世界大戦は終結していた。しかし憲法修正を受け連邦議会はボルステッド法を制定し、翌1920年からアメリカ全土で施行された。

禁酒法では、飲料用アルコールの製造・販売・運搬等が禁止されたが、自宅内における飲酒は禁止されなかったので、多くの富裕層は施行前に酒を大量に買い溜めしていた。

問題 [編集]

実際にはざる法であり、うまく機能しなかったと言われている。飲酒禁止によって犯罪を抑止しようとしたが、逆に酒をめぐる犯罪が増加したためである。

  1. 隣国カナダからの輸送を取り締まらなかった。カナダ国内で合法的に販売された酒類は爆発的に売れ、アメリカへと持ち込まれることになった。これによりカナダ経済は非常に潤うという結果を生んだ。
  2. 禁酒法の執行官の待遇が悪かった。密造業者や密造、アル・カポネをはじめとする密売に関わるギャングに買収されたりした執行官が多かった。
  3. 密造酒による健康問題や、密売に関わるギャングマフィア同士の抗争による治安の悪化も問題となった。
  4. 不健全な酒場を廃止することが目的の一つだったにもかかわらず、より不健全な非合法酒場が横行した。
  5. 世界恐慌で景気が後退すると、財政難の中、密売酒・密造酒が課税されないことが大きくクローズアップされるようになった。
  6. 医療目的と称して薬局を通すと、ウイスキーを手に入れることができた。ちなみに、病院に行けば、医者は1枚2ドルで処方箋を書いていた。

廃止 [編集]

ルーズベルト大統領は当選すると、かねてからの公約通り禁酒法の廃止へと動いた。そして、1933年2月17日にアルコール度3.2%以下の酒類の販売を認めるブレイン法 (Blaine Act) が連邦議会で可決された。さらに、2月28日には修正第18条を廃止する修正第21条が可決され、12月5日に施行された。

禁酒法が施行されていた期間は、13年10か月。フーヴァー大統領が「高貴な実験」と呼んだ禁酒法は、悪法の代名詞として後世に記憶された。

しかしながら、米国では、現在でも、18州が酒類の販売を州営の店舗等、特定店舗のみに規制している (Alcoholic beverage control states)。また、酒類の販売を全面的に禁止している即ちドライ・カウンティ (Dry county) も、南部及び中西部を中心に多数存在する。

関連項目 [編集]

焼酎(2)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本格焼酎

「本格焼酎」とは

戦後1949年の酒税法で「甲類・乙類」の分類呼称が定められたが、通常甲乙の称は等級や順位でも使われる表現であるため、ややもすれば「乙類」が「甲類」に劣ると誤解されかねなかった。これを危惧した江夏順吉(当時の霧島酒造社長)が1957年に九州旧式焼酎協議会において「本格焼酎」という呼称を提唱、1971年(昭和46年)12月10日に「酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律施行規則」(昭和28年大蔵省令第11号)が一部改正され「本格しようちゆう」と呼称・表記することが可能となった[11][38]。(2008年12月現在、法令の条文上では「本格しようちゆう」のみが使用されており漢字の「本格焼酎」の登場例はないが、以下業界での慣用に倣って本節では後者を用いる。)

しかし、「本格焼酎」の呼称を用いる基準が必ずしも明確でなかったことから議論が生じ、その結果2002年11月1日に前述の省令の一部改正により基準が強化され、以下に掲げるアルコール含有物を蒸留したものでなければ本格焼酎と名乗ることはできなくなった。なお、単に「焼酎乙類」「単式蒸留焼酎」と表示するのであれば材料は制約されない[39]

  • 穀類又はいも類これらのこうじ及び水を原料として発酵させたもの
  • 穀類のこうじ及び水を原料として発酵させたもの
  • 清酒かす及び水を原料として発酵させたもの、清酒かす米こうじ及び水を原料として発酵させたもの又は清酒かす
  • 砂糖(政令に掲げるものに限る)、米こうじ及び水を原料として発酵させたもの(黒糖焼酎)。
  • 穀類又はいも類これらのこうじ、水及び国税庁長官の指定する物品を原料として発酵させたもの(その原料中国税庁長官の指定する物品の重量の合計が穀類及びいも類及びこれらのこうじの重量を超えないものに限る)

本格焼酎ブーム

日本では、2003年頃から焼酎乙類を対象とする「本格焼酎ブーム」が起き、同年には焼酎類全体の出荷量が日本酒の出荷量を約50年ぶりに上回り[40][41]2004年には売上高もピークを迎えた[41]。ブームに伴って、本格焼酎を専門に扱う焼酎バーも登場している。

ブームの影響によって、材料や製法にこだわった焼酎も盛んに市場へと送り出されていた[40]鹿児島で本格焼酎は1500円前後の商品が消費の中心であるが[18]、より美味しい焼酎を望むニーズと、作り手のこだわりによって高価格で本格志向である味の焼酎[注釈 3]も登場した。しかし、少なからぬ弊害も生じた。ブームのピーク時には芋焼酎の原料となるサツマイモが市場に不足する深刻な問題が起きたほか[41]、一部銘柄ではプレミアがつき、一本数万円などという値段が付けられるようになり[42]森伊蔵については偽物が出回る事件にまで発展した[43]

本格焼酎需要急上昇に伴い、各地で焼酎の生産設備拡充や休止酒造場の再開、新規参入などが図られた。しかし2006年初頭からブームは沈静化しつつあり、例えば帝国データバンク福岡支店は2006年の売上が2年連続で下落したことから焼酎ブームは去ったと分析し、ブームの反動・縮小による焼酎業界への悪影響を懸念しており[41]日本銀行鹿児島支店が2008年2月に公表した、今回の焼酎ブームについてまとめたリポート[12]では「今回のブームは終焉した」と指摘、「銘柄選別の時代に入った」と結論付けた[44][45]

脚注

注釈

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  1. ^ ウイスキーやスピリッツなどの蒸留酒の酒税が焼酎より高く設定されていた当時の税体系は非関税障壁であるとする洋酒生産国によるGATTへの提訴において日本が敗訴(1987年)したため、日本は消費税導入(1989年4月)と同時に酒税改訂を行った。しかし措置が不十分であるとする洋酒生産国によるWTOへ同様の提訴により再度日本が敗訴(1996年)したため、日本は段階的(1997年-2000年)に焼酎の酒税を引き上げた(参考文献:WANDS. “日本政府の対応に怒りあらわ 欧米の蒸留蒲生産着代表団が来日、酒税法改訂を強く迫る”, 『月刊 WANDS 1996年12月号』 (日本語). ウォンズ パブリシング リミテッド. 2008-07-08 閲覧。 Shibatani Tomohiro. "本格焼酎の定義" (日本語). 本格焼酎の楽しみ. 2008-07-08 閲覧。)。
  2. ^ 例として、宝焼酎「純」(ブレンド、熟成、蒸留方法・回数、等)サッポロ「トライアングル」(原料、ブレンド、等)アサヒ「SAZAN(サザン)」(蒸溜機、等)合同酒精「グランブルー」(加水種類、等) などがある。
  3. ^ 一例として、濵田酒造「なゝこ(ななこ)」 などがある。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 酒税法の条文を参照。
  2. ^ 国立国会図書館 (1953年(昭和28年)2月17日). "第015回国会 大蔵委員会 第18号" (日本語). 参議院会議録. 2008-07-01 閲覧。
  3. ^ 『酒類・清涼飲料業界』 斎藤隆、教育社、1990年、第14刷(1996年)、36ページ。ISBN 4-315-51100-5
  4. ^ a b福満武雄 『焼酎』 葦書房、1976年、30ページ。」によれば、1973年の本格焼酎生産量は鹿児島・球磨・宮崎で79%を占める。
  5. ^ "壱岐焼酎協業組合" (日本語). 2008-06-26 閲覧。
  6. ^ "東京七島酒造組合" (日本語). 2008-06-26 閲覧。
  7. ^ a b ワシモ (01 2004). "『焼酎の落書き』のある神社 - 鹿児島県大口市" (日本語). 旅行記. 2007-01-21 閲覧。
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  9. ^ 岸野久 『西欧人の日本発見 -ザビエル来日前日本情報の研究-』 吉川弘文館、1989年、65,74。ISBN 4-642-02630-4
  10. ^ a b 日本蒸留酒酒造組合・甲類焼酎. "「甲類焼酎の歴史」" (日本語). What's甲類焼酎. 2008-04-10 閲覧。
  11. ^ a b c d e f g 日本いも類研究会 (2006-06-16). "講演「本格焼酎とは」" (Image:Icons-mini-file_acrobat.gifPDF) (日本語). ニュースレター№56. 2008-04-10 閲覧。
  12. ^ a b c 日本銀行鹿児島支店 (2008-02-05). "焼酎ブームのその先にあるものは!?~今回の焼酎ブームの特徴~" (Image:Icons-mini-file_acrobat.gifPDF) (日本語). かごしまノート. 2008-04-10 閲覧。
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  45. ^ 熊本日日新聞 (2008-03-23). "射程「焼酎ブーム終焉」". 2008-04-10 閲覧。

参考文献

外部リンク

焼酎(1)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

焼酎(しょうちゅう)とは類のうち蒸留酒の一種である。

日本国内では酒税法によって種別基準が定められており、連続蒸留しょうちゅう(旧甲類)と単式蒸留しょうちゅう(旧乙類)に分けられている(2006年5月1日酒税法改正による変更)[1]。焼酎への酒税は政策的に安くされていた[2][注釈 1]。また、大衆酒として広く飲用されてきた歴史がある[3]

南九州を中心に醸造が盛んである[4]。また、長崎県壱岐伊豆諸島など島嶼でも焼酎が醸造されている[5][6]。 

定義

酒税法では「アルコール含有物を蒸留した酒類」のうち、以下の条件を満たす酒類を焼酎としている[1]

  • 発芽した穀類を使用していない
  • 白樺の炭などで濾過していない
  • 蒸留時に別途定められている物品以外を添加しない
  • アルコール度数が連続式で36度未満、単式で45度以下を下回る

甲類と乙類

連続蒸留焼酎(焼酎甲類)

一般に糖蜜等を原料とした発酵液をもとに、連続蒸留器で蒸留して高純度エチルアルコールを生成し、これに加水したものである[1]

日本の税法上はアルコール度数36%未満[1]。製法上、何度も蒸留を行うため、アルコール純度が高くなり、原料本来の風味が失われるため、味覚の個性は薄い[11][12]。また、甲類の範囲にてブレンド、熟成、蒸留回数、蒸留機、加水種類、原料、等で変化をつけることによって、ある程度の特徴的な風味を持つものも存在する[注釈 2]

低コストでの大量生産に適するため、大手企業によって量産され、それらの販売シェアが高い状況となっている[13]。手を加えて飲まれることもあり、チューハイなどのベースや、リキュールの材料、或いはカクテル作りの際に用いられたり、ジンウォッカなどの代用品として使用されることもある。梅酒などの果実酒づくりに用いられる「ホワイトリカー」もこの甲類焼酎である。JINROに代表される甘味の強い韓国焼酎が盛んに輸入され[14]、これも日本の税法上では焼酎甲類に区分されている。

税法上では「連続式蒸留焼酎」表記の代わりに「ホワイトリカー(1)」と表記することも認められる[1]

単式蒸留焼酎(焼酎乙類)

などを原料とし、単式蒸留器で蒸留して作る焼酎である[1]

日本の税法上はアルコール度数45%以下[1]。基本的に1回のみの蒸留のため、原料本来の風味や旨み成分が生きていることが特徴である[11][12][15][16]南九州地方が特産地として有名[4]

製造法の流れは以下の通りである[17]

  1. 元の原材料(多くの場合は米ないしは麦)へこうじ菌を生やし、をつくる。
  2. 麹をタンクや甕(かめ)で発酵させ、もろみを作る(一次発酵)。
  3. 一次発酵させたもろみの中へ原材料を投入させ、発酵させる(二次発酵)。このとき投入した原材料が焼酎の主要原材料として表記されることになる。二次発酵としてサツマイモを投入すれば「芋焼酎」となる。
  4. アルコールが生成された発酵液を蒸留する。

産地の南九州では、お湯割りで飲まれる事が多い[11][18]。焼酎のお湯割りは、酒杯に先に湯を入れ、後から焼酎を静かに加えることによって、対流が発生し自然に混ざる状態となる[11]。こだわる人は先に焼酎と水を合わせておき、一日もしくは数日おいて馴染ませたものを黒ぢょか等の酒器にて燗をして飲むこともある[11][19]

旧酒税法が制定された1940年以来、単式蒸留焼酎(乙種)は酒税の保全や過当競争防止等の理由にてさつまいもそばの主要4品種については新規製造免許を認めない方針によって[20][21]、製造の新規参入ができない状態が長らく続いていたが、構造改革の一環として国税庁が2005年に規制緩和の見解を示し、一部地域・条件付きながら2006年以降に新規免許が認められる事となった[22]

税法上では「単式蒸留焼酎」表記の代わりに「焼酎乙類」「ホワイトリカー(2)」と表記することも認められている。また、後述するように、焼酎甲類に対して劣るという誤解を避けるために「本格焼酎」という呼称も用いられる[1]

未納税移出

単式蒸留焼酎の世界では未納税移出[23]、いわゆる「桶買い」「桶売り」という制度がよく使われている。これは同一の酒類製造免許をもつ事業者同士で生産した酒類をやり取りする場合には酒税がかからないという制度を利用したもので、清酒の世界でもよく行われている。単式蒸留焼酎業界では大分県の大手麦焼酎メーカーが鹿児島や宮崎の芋焼酎メーカーの閑散期に麦焼酎の生産を委託することが多い。

この制度があるため、単式蒸留焼酎製造メーカーの統計を見ると生産量と出荷量と実際にそのメーカーのブランドで販売された量が異なっていることがある。このことから国税庁の資料では出荷量や生産量ではなく、あくまで税金がかかる出荷をした場合の数量、すなわち課税移出数量で統計を管理している。マスメディアなどで「出荷量」という場合には未納税移出数量を含んだ「実出荷量」と未納税移出数量を除いた「課税移出数量」を混同して報道しているケースがあるので注意が必要である。

混和焼酎

甲類と乙類を混和したものである。甲類と乙類のどちらが多いかで呼び名が異なる。乙類を50%以上95%未満混和したものを「乙甲混和焼酎」、乙類を5%以上50%未満混和したものを「甲乙混和焼酎」と呼ぶ[1]

以前は本格焼酎と紛らわしい表示がされたり、混和率などの情報が表示されなかった商品もあったが、業界内で混和焼酎の表示に関する自主基準を設けて、2005年(平成17年)1月1日から実施している[24][25]

乙甲混和焼酎

乙類100%では匂いが強いなどの理由で飲みにくいと敬遠されることがあるため、これらを和らげるために用いられる。飲みやすさへの志向が強い。

甲乙混和焼酎

安価な甲類の利点を活かしながら、乙類の風味を加えることで安価で風味のある製品を作ることができる。価格への志向が強い。

その他の焼酎

上記の焼酎のほか、近年は日本各地で様々な原料を利用した焼酎が造られている[26][27]通常と変わった材料を用いたとする焼酎の多くは、地域おこしなどを目的として人目を引く物珍しさが前面に出される傾向が強く、焼酎全体のカテゴリーの中では傍流に留まっている[要出典]

  • 一般的な主原料(糖蜜、麦などの穀類)以外を主原料に用いた甲類焼酎。
  • 乙類焼酎で米こうじか麦こうじを発酵に利用し、主原料のみ独自の原料を用いたもの[26]。そば焼酎はこの中でも抜きん出て成功した例と言える[26]
  • 一般的な既存の甲類・乙類焼酎または混和焼酎に、独自原料の果汁・エキス類を混和した、リキュールの一種とも言うべきもの(柑橘焼酎、シソ焼酎、昆布焼酎、トマト焼酎など)[26]

乙類の種類

焼酎乙類は一次発酵・二次発酵を経てつくられたもろみを蒸留して製造されるものが主流をしめており、粕取り焼酎は1000klに満たない[28] 。以下のような種類がある。


黒糖焼酎

奄美諸島では江戸時代から第二次世界大戦以前まで、泡盛や黒糖酒(黒砂糖原料の蒸留酒)が製造されていた。だが、戦間期から戦後のアメリカ占領時代にかけ、米不足で泡盛の原料に事欠く一方、黒砂糖は日本本土に移出できず余剰だったことから黒糖酒が多く作られるようになった。

1953年、奄美諸島の日本返還に伴い日本の税法を適用するにあたり、黒糖酒は酒税法上「焼酎」として扱われず税率が高いことから、「焼酎」扱いを望む島民の要望もあり、取り扱いに関して議論がなされた。当時の大蔵省は奄美諸島の振興策の一環として、米こうじ使用を条件に、熊本国税局大島税務署の管轄区域(奄美諸島)に限って黒糖原料の焼酎製造を特認した[29]

以後、黒糖焼酎は奄美諸島でしか製造できない特産品となって現在に至っている。口当たりは比較的柔らかく、癖が少ない。原料から想像されるほどに甘味は強くない。

現在、奄美諸島では泡盛は製造されておらず、黒糖酒は奄美諸島全域で製造されている。

小笠原諸島において、日本領土になった明治時代初期からサトウキビ栽培によって製糖業が盛んとなり、その過程で生じた副産物を発酵・蒸留した製法で、焼酎に類似する「糖酎」「泡酒」「蜜酒」と呼ばれた酒が戦前に醸造されていた[34][35]戦時中の島民疎開により途絶えていたが、1989年(平成元年)になって村おこしの一環として小笠原村役場農協商工会によってこれを扱う企業が設立され、その製法を模したラム酒が製造されている[34][35]過去に「糖酎」の表記で発売された事があったが税務署より指導が入り、その際の見解によって特認が得られず[要出典]、税法上はラム酒(スピリッツ、もしくはリキュール類)の扱いとなっている。

最近では、焼酎や泡盛のルーツと言われるタイでもきび南蛮を始めとする黒糖焼酎が発売され話題となっている。

泡盛

沖縄県特産の蒸留酒である泡盛は米を原料としており、その製法は一般的な焼酎と差異があるものの、税法上は焼酎乙類の範疇に入れられている[1]

法制上、泡盛自体は日本全国で製造することができるが、「琉球泡盛」という表示は世界貿易機関のTRIPS協定に基づいて沖縄県産の物のみに認められている。

詳細は泡盛を参照

粕取り焼酎とカストリ

粕取り焼酎

もろみ取り焼酎とは別の製法で、清酒かす(日本酒の酒粕)を蒸留して造られる「粕取り焼酎」と呼ばれる焼酎がある。粕取り焼酎は九州北部を中心に発達し、全国の清酒蔵で製造されている。江戸時代の本草書『本朝食鑑』に、「焼酒は新酒の粕を蒸籠で蒸留して取る」とあるように、清酒が醸造される地域で焼酎といえば粕取り焼酎のことであった。新しくできた酒粕をそのまま蒸留する方法と、籾殻(もみがら)を混ぜて通気性を確保してから蒸留する方法があり、前者は吟醸粕取焼酎、後者を正調粕取焼酎と呼んで区別している[36]。 貯蔵した酒粕を蒸留し早苗饗(さなぶり)という田植え後のお祭りで飲んだことから、別名「早苗響焼酎」とも呼ばれる。蒸留した後の粕は田の肥料として使われていた。

太平洋戦争後、カストリと混同されたこと、独特の香りが時代の嗜好に合わなかったことなどから需要が低迷し粕取り焼酎の製造から撤退する蔵が相次いだ。また、かつては福岡県内を中心に粕取り焼酎専業の蔵も多くあったが、現在では米焼酎の製造を行うなど、専業蔵は消滅している。しかし、昨今の焼酎ブームにより、日本酒製造メーカーが粕取り焼酎に再び進出するケースが増えている[36]

梅酒をつける際にベースとなるアルコールやみりんの主原料としても使われた他、日本酒の仕上げ工程において中途で発酵を止め、防腐や辛口に仕上げる目的で用いられる「柱焼酎」として使われる場合も多かった。また、外傷の消毒薬としても用いられた[29]

カストリ

本来の粕取り焼酎とはまったく別な、粗悪焼酎に対する俗称である。

第二次大戦後の社会混乱期、酒不足の世相の中で粗悪な密造焼酎が出回った[37]。原料・出所がまったく不明、甚だしい例では人体に有毒なメチルアルコールを水で薄めたものまで売られる始末で[37]、これら悪酔い確実な代物が俗に「カストリ」と総称された[37]ため、一般にも「カストリ=粗悪な蒸留酒」というイメージが定着した[37]。その影響で、決して粗悪でない本来の粕取り焼酎まで誤解によってイメージダウンした時期がある[37]。ここから派生した戦後の混乱期を象徴する表現として、「カストリ雑誌」という言葉もあった。

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