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分類 [編集]

経済学は、次のような分野に分類される。

 

学派 [編集]

 

経済理論 [編集]

ここでは方法論としての理論を紹介する。なお経済学は専門ごとに理論と応用とに別けられるわけでなく、専門の中にも理論と応用が存在する。

ミクロ経済学 - マクロ経済学 - 計量経済学 - ゲーム理論 - 行動経済学実験経済学 - 複雑系経済学 - 経済物理学

 

専門分野 [編集]

国際 [編集]  国際経済学 - 貿易理論 - 国際金融論
成長 [編集]  経済成長論 - 開発経済学
数量 [編集]  計量経済学 - 数量経済史
金融 [編集]  貨幣理論 - 金融理論 - 金融工学
数学 [編集]  数理経済学 - 経済統計学
法・契約 [編集]  法と経済学 - 契約理論
公正 [編集]  厚生経済学 - 社会選択理論 - メカニズムデザイン(制度設計) - 消費者政策
産業 [編集]  産業組織論
公共・公益 [編集]  公共経済学 - 財政学 - 租税論 - 教育経済学 - 社会政策論 - 公共選択論 - 比較制度分析
労働
[
編集]  労働経済学
情報 [編集]  情報経済学
地理・空間 [編集]  経済地理学 - 空間経済学 - 都市経済学
環境 [編集]  環境経済学 - 農業経済学
歴史・思想 [編集]  経済史 - 経済思想史 - 経済学史 - 社会思想史
その他 [編集]  文化経済学 - 経済人類学 - 医療経済学 - 交換理論 - 共生経済学

経済学における主な用語・概念 [編集]

需要と供給 - 有効需要 - レッセフェール - IS-LM曲線 - AD-AS曲線 - インフレーション - デフレーション - スタグフレーション - ジニ係数 - ローレンツ曲線 - フィリップス曲線 - ラッファー曲線 - トリクルダウン理論 - 限界効用 - セイの法則 - エンゲル係数 - 費用対効果 - 一般均衡理論 - リアルビジネスサイクル理論 - 生産集合 - 無差別曲線

外部リンク [編集]

脚注欄 [編集]

  1. ^ Myreson, R. B. 1999 Nash Equilibrium and the History of Economic Theory. Journal of Economic Literature, 37, no. 3, pp. 1067-1082
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経済学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 経済学(けいざいがく)とは、この世において有限資源から、いかに価値生産分配していくかを研究する学問のことである。総じて社会全般の経済活動が研究の対象である。(経済学者については経済学者を参照のこと。ノーベル賞についてはノーベル経済学賞を参照のこと。)

概要 [編集]

経済学の最も古い定義は、アダム・スミスの『諸国民の富の性質と原因の研究』によるものである。

政治家や議員にとっての科学分野と看做されている経済学は、2つのちがったものを提示する。一つは、人々に豊富な利益ないしは製品を供給し、更には利益や必需品がキチンと人々に益を齎すようにする方法を。あと一つは、そうした収益を国ないしは社会にサービスとして提供し、結果として人々と統治者を豊かにする手立てである。 

一番有名で多くの人々に支持されている定義は、ライオネル・ロビンズ1932年に『経済学の本質と意義』で最初に問題提起したものだと言われている。

他の用途を持つ希少性ある経済資源と目的について人間の行動を研究する科学が、経済学である。 

言い換えるなら、希少性のある資源を如何に効率的・合理的に配分するかを扱い、其処へは道徳や価値判断は一切入らないというのがロビンズの論旨である。しかし、こうした定義にはケインズコースらからの批判もある。経済問題は性質上、価値判断や道徳・心理といった概念と分離する事は不可能であり、経済学は本質的に価値判断を伴う倫理学であって、科学ではないというものである。

一方でとりわけゲーム理論の経済学への浸透を受けて、経済学の定義は変化しつつある。例えばノーベル賞受賞者ロジャー・マイヤーソンは、今日の経済学者は自らの研究分野を以前より広く全ての社会的な制度における個人のインセンティヴの分析と定義できると述べている。[1]このように現在では、資本主義貨幣経済における人や組織の行動を研究するものが中心となっている。広義においては、交換取引贈与負債など必ずしも貨幣を媒介としない、価値をめぐる人間関係や社会の諸側面を研究する。このような分野は人類学経済人類学)、社会学交換理論)、政治学公共選択論合理的選択理論)、心理学行動経済学)と隣接する学際領域である。また労働貨幣贈与などはしばしば哲学思想的考察の対象となっている。但し、経済システムの働きに深く関わる部分については経済思想と呼ばれ、経済学の一分野として考えられることも多い。

特徴 [編集]

科学性 [編集]

自然科学に比べ不確定要素の大きい人間が深く関わる物が研究対象である性質上、数理的理論・実験が困難な分野が多い人文科学社会科学の中において、特に積極的な数理的検証を試みている事が挙げられる。そうした性質から、経済学は物理学が「自然科学の王」と呼ばれているのに対し社会科学の女王と呼ばれている。また経済学においては、現実の経済現象の観察、モデル構築、検証という一連の循環的プロセスによる研究方法が確立しているため、分野によっては非常に科学的な学問と言える。

数理的理論・理論 [編集]

解析代数ゲーム理論を多用し古典力学の影響を色濃く受けている。現代になるまでは統計データが扱い難く実証が困難であり、このため経済学では数学を多用した論理的積み上げが大きく発展した。現在の経済学が使う数学のレベルは極めて高く、物理学者マレー・ゲルマンをして「彼らの数学的教養には舌を巻いた」と言わしめた。その数学的親和性の高さから確率微分方程式など数学におけるブレイクスルーが経済学に大きく影響を与えることもある。そのためフォン・ノイマンジョン・ナッシュなどの数学者理論物理学者による経済学での貢献、クープマンスマイロン・ショールズなど数学畑、物理畑、工学畑出身の経済学者は珍しくない。

実験・実証 [編集]

統計学において経済関連の統計が主流分野として立脚していること、統計学者や経済学者と統計学者を兼ねる者が両分野の発展に大きく貢献してきたことを知れば一見なように、古くから社会全体を実験室に見立てて統計学を使い裏付ける方法が経済学において多用され影響を与えてきた。実証の現代の新潮流にはダニエル・カーネマンエイモス・トベルスキーバーノン・スミスなど心理学認知科学認知心理学)の流れをくみ行動実験を用いて消費者行動を裏付ける方法が強力な道具として提供され急成長している。この流れから行動経済学神経経済学という分野も心理学者と心理学的素養を持つ経済学者によって生み出されている。

政策 [編集]

経済学は、その誕生・分析対象が社会政治経済問題と不可分であったことから政策への提言として社会へ関わる機会が非常に多い。19世紀以降は、社会的な判断において経済学が不可欠となった。社会問題を対象としている性質からか、社会的不幸を予測する理論も多々生まれ「陰鬱な学問」とも呼ばれた。先駆的政策(事実上の実験)の過程と結果から新たな学問的問題を提起したソビエト連邦による社会主義建設は失敗し「壮大な社会実験」として総括されているが、この社会主義的政策が、第二次世界大戦日本で採られた傾斜生産方式のように社会に有益な影響を与えたのも事実である。ちなみに近代経済学では傾斜生産方式の有用性について疑問符を投げかけている。マルクス主義経済学と対照をなす古典派経済学イギリス帝国20世紀初頭のアメリカの繁栄などで実証されたかにみえたが、世界恐慌や植民地帝国の解体によって軌道修正をよぎなくされる場面もあった。理論と結果への当てはめという試行錯誤が長く繰り返される中で経済学は発展し近代経済学の成立とあいなった、現代では一般的に経済学=近代経済学とされる。だが近代経済学もまだまだ問題が山積しているのは明白である。

1980年代からゲーム理論が積極的に取り入られるようになり、特にメカニズム・デザインと呼ばれる分野における成果はめざましい。具体的には、周波数オークションの設計、電力市場の制度設計、教育バウチャー制度の設計、臓器移植の配分問題の解決といったものが挙げられる。これらはいずれも経済学なくして解決できなかった問題であり、さらに経済学が現実の制度設計において非常に重要な役割を果たしていることの好例である。

経済学の対象 [編集]

有限な事物の分配・生産が対象であり人間が知覚できる有限性がなければ対象とはならない。例えば宇宙空間は未だに対象ではないが、東京に供給されるビル空間の量は対象である。その他にも人間行動の心理的要素や制度的側面も重要な研究対象である。また事実解明的分析規範的分析に分けられる。前者は理論的に説明・判断できる分析であり、後者は価値判断や政策決定に使われる分析である。例えば「財政支出を増やすと失業が減少する」は真偽が判明する分析であるが、「財政支出を増やして失業が減少したほうが良い」は価値判断が絡む分析である。

歴史 [編集]

経済学は法学数学哲学などと比べて比較的新しい学問である。近世欧州列強の著しい経済発展と共に誕生し、その後資本主義経済がもたらしたさまざまな経済現象や経済システムについての研究を積み重ね、現代に至る。

重商主義学説 [編集]

経済についての研究の始まりはトーマス・マン(1571~1641)によって書かれた『外国貿易によるイングランドの財宝』や、ウィリアム・ペティ(1623~1687)の『租税貢納論』、バーナード・マンデヴィル(1670~1733)の『蜂の寓話』、ダニエル・デフォー(1660~1731)の『イギリス経済の構図』、デイヴィッド・ヒューム(1711~1776)の『政治論集』などに見られるような重商主義の学説である。この時代には欧州列強が海外植民地を獲得し、貿易を進めて急速に経済システムを発展させていた。

重農主義学説 [編集]

1758年フランス重農主義の学派フランソワ・ケネー(1694~1774)が『経済表』を書き、国民経済の再生産システムを解明して、経済学の体系化の発端となった。

イギリス古典派経済学 [編集]

1776年アダム・スミスにより資本主義工場生産について論じた『国富論』 (The Wealth of Nations)が書かれ、これが現在の理論化された経済学の直系で最古の理論に当たる。そのためスミスは経済学の父と呼ばれている。経済学では一般的に『国富論』を持って始まりとされる。またデイヴィッド・リカード(1772~1823)の『経済学および課税の原理』、マルサス(1766~1834)の『人口論』や『経済学原理』、ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873)の『政治経済学原理』などがスミスに続いて英国古典派経済学の基礎を築いていった。

経済学の分裂 [編集]

しかし発展過程で大きく経済学は二系統に分かれていく。すなわち「資本主義経済の現象を数値化して分析する」という潮流を受け継いだ、当時イギリスオーストリアなどで登場した「限界効用」学派を中心とした近代経済学、そして「資本主義の本質を労働価値説に基づいて分析する」という潮流を受け継いだマルクス経済学政治経済学)である。この二派の系統は、思想的立場、分析手法、理論形態の違いにより対立的な関係のまま発展を続けることとなる。

近代経済学 [編集]

近代経済学はその後、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ(1798~1855)の『経済学の数学的一般理論の考察』や『経済学の理論』、レオン・ワルラス(1834~1910)の『純粋経済学要論』や『応用経済学研究』、カール・メンガー(1840~1910)の『国民経済原理』や『社会科学特に経済学の方法に関する研究』、アルフレッド・マーシャル(1843~1924)の『外国貿易と国内価値との純粋理論』や『経済学原理』、ジョン・メイナード・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』、ヨーゼフ・シュンペーターの『理論経済学の本質と主要内容』や『経済発展の理論』、などの研究を通じて発展していくこととなる。

マルクス経済学 [編集]

一方マルクス経済学はまずカール・マルクスの『資本論』や『剰余価値学説史』などを通じて英国古典派経済学の労働価値説を継承しつつ新たに価値論や剰余価値論を体系化して、その上で資本の種類を分類して単純再生産拡大再生産などの資本の運動法則を解明した。このことによって資本主義経済の全体構造の把握を目指した。さらにマルクス経済学フリードリヒ・エンゲルスの『国民経済学批判要綱』や『反デューリング論』、カール・カウツキー(1854~1938)の『カール・マルクスの経済学説』や『エルフルト要領解説』、ルドルフ・ヒルファーディング(1877~1941)の『金融資本論』、ローザ・ルクセンブルク(1870~1919)の『資本蓄積論』、レーニンの『ロシアにおける資本主義の発達』や『帝国主義論』、などの研究を通じて発展していく。

現代 [編集]

近代経済学マルクス経済学は「冷戦」という現実政治の影響もあったため、長期間にわたって対立してきた。ソ連崩壊・冷戦終了時には、マルクス経済学に対する否定的研究が数多く行われ、非数理的・訓古主義的な性質が批判された。今日では、資本主義社会における「市場」というメカニズムに基礎を置く近代経済学が中心となり、「社会主義」を建前としている中華人民共和国ベトナム等でも近代経済学の研究が行われている状態である。

ただし、マルクス経済学が全否定されたわけではなく、一部は近代経済学に取り入れられている。また、アメリカを中心とした西側資本主義国で発展させられてきた近代経済学は、非歴史的・非文化的で数理モデル一辺倒な性質をマルクス経済学者やポストケインジアン等に指摘され、現在においては両者を学ぶことが求められているという声も存在する。なお、「環境破壊は現行経済制度の失敗である」として、マルクス経済学を基礎とした新しい経済制度を模索する環境経済学も登場しているが、経済学の正統な領域としては認められていない。

論争 [編集]

経済学は存在自体が社会・政治・経済・政策と不可分であるため、学術的な論争や政策的な論争など数多の論争を生み出し消化してきた。それによって経済学徒は他学徒に「傲慢である」と印象を与えてしまうほど非常に攻撃的な知的スタイルを形成している。論争は経済学にとって理論を洗練させブレイクスルーを起こす役割を担ってきた。このように経済学と論争は切り離すことはできない。ここでは経済学において歴史的に重要な意味を持った論争を取り上げる。

 

脚注欄 [編集]

  1. ^ Myreson, R. B. 1999 Nash Equilibrium and the History of Economic Theory. Journal of Economic Literature, 37, no. 3, pp. 1067-1082

学位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

日本以外の各国の学位制度 [編集]

なお、現在ヨーロッパにおいてはボローニャ宣言に基づくボローニャ・プロセスによって学位の共通化の試みが進められている。

アメリカ合衆国式の学位制度 [編集]

大きくは、doctorate degree(博士学位)、master's degree(修士学位)、bachelor degree(学士学位)、 associate degree(準学位)とFirst-Professional Degree(第一専門職学位)からなる。この体系は、ほかの国々が自国の学位制度を作る際の参考にもしていることが多く、特にdoctorate degree(博士学位)、master's degree(修士学位)、bachelor degree(学士学位)の3つの学位については、多くの国々でこれらと同等の学位が設けられている。現在の日本の学位制度も、おおむねアメリカ合衆国の制度に類似しているといわれる。また、アメリカの学位はMA(Master of Arts:文学修士、学術修士)などの様な学問的学位と、MBA(Master of Business Administration経営学修士)の様な職業的学位とに分けられ、それぞれにおいておおよその評価や期待は異なる。なお、米国では「学位ビジネス」と呼ばれる、学術研究成果に基づかない、根拠無き称号を売買するビジネスが暗躍しており、学位の社会的な評価の高さと詐欺の実態が浮き彫りとなっている(→ディプロマミル認定校制度)。

イギリス式の学位制度 [編集]

イギリスにおいては、各大学や地域が独自に学位の種類や名称を定めている。例えばケンブリッジ大学オックスフォード大学のMA(Master of Arts)は、学部入学から一定期間を経た学部卒業生に与えられるもので、大学院の学位ではない。またスコットランドの一部の大学では、学部卒業生にMaster of Artsを、修士課程修了者にBachelor of Artsを授与している。

しかし一般には、スコットランド以外の地域では学部で3年以上の課程を終えることで学士号(bachelors degree)を得る。これには優等学位(honours degree)と普通学位(ordinary degree)とがある。一方スコットランドでは、4年間の課程を終えることで優等学位が授与される。修士号(masters degree)は学士号取得後1~2年の大学院課程を修了することで、博士号(doctorate)は学士号取得後最低3年の独創的な研究を認められることで授与される。さらに、公刊された研究業績によって審査される、名誉学位的なHigher Doctorate(上級博士)の学位がある。

これ以外に、certificateやdiplomaと呼ばれる学位や職業資格が数多く存在する。学士号を持たない者が1~2年の課程を修了すると得られる「準学士」「準修士」的な性格の称号である。

ドイツ連邦共和国式の学位制度 [編集]

ドイツ連邦共和国では、独自の制度があり、ディプロームやマギスターという独自の学位を設けてきた。しかし、国際化の進展とともに独自の学位が不便ともされるようになったため、アメリカ合衆国式の学位制度も創設されるに至っている。しかし音楽大学などの芸術系の大学では「学位」そのものがその後の芸術家としての質の低下を招いてしまうとして、未だに卒業試験のみで「博士」などの学位は与えておらず、外部のコンクール歴などによって「学位」と同等とみなす風潮がある。

フランス共和国式の学位制度 [編集]

フランスは独自の学位制度があり、Diplôme Universitaire de Technologie、Diplôme d’Etudes Universitaires Générales、Diplôme d’Etudes Universitaires Scientifiques et Techniques、Licence、Maîtrise、Diplôme d'études supérieures spécialisées、Diplôme d'études approfondies、Magistère、Doctoratなどの学位が存在する。

ロシア連邦式の学位制度 [編集]

ロシアの学位制度は現在、2種類のものが混在している。ソ連時代から続く学位としては、доктор наук(ドークトル・ナウーク;博士)、кандидат наук(カンジダート・ナウーク;準博士)が挙げられる。кандидат наукがPh.D.に相当するため,доктор наукは日本の「博士」よりも上の学位に相当することになる。 また、通常の大学(5年制)を卒業した者には、専門家としての資格認定書付きの卒業証書が授与されていた(дипломированный специалист)。一方で、新しい学位制度では、4年制の大学を卒業した者にбакалавр(バカラーヴル;学士)、6年制の大学を卒業した者にмагистр(マギーストル;修士)の学位が授与される。

学位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 学位(がくい、: degree)とは、大学など高等教育機関や国家の学術評価機関等において、一定の教育課程の修了者又はそれと同等の者に対して学術上の能力または研究業績に基づき授与される階級別の栄誉称号を言う。

概要 [編集]

学位は、一般的には、大学など高等教育機関における単位修得や論文執筆などの研究を踏まえた学修の成果に対して授与される、世界的に通用する法的に認められた学術称号である。学位、とりわけ「学士の学位」は、国家資格か大学の認定する公的資格の様に誤解される場合もあるが、学位は資格ではないと考えられている。

学位の意味とその起源は、14世紀ヨーロッパの大学における教授職の資格を起源としており、学術業績に対しての栄誉称号として発展し、学問領域における著作などでの業績、即ち学術的成果に対して授与された栄誉称号として発展を遂げ今日の学位として成立を見た。現在では、高等教育を行う機関(大学など)が授与する学術上の位となっている。世界でもっとも早く大学院が発達したのがアメリカ合衆国であることから、近代的な学位制度はアメリカ合衆国において最初に発達したと言われている。

ちなみに学位は大学院の修了資格と不可分の関係にあり、大学院の修了はその大学院の課程が定める特定の学位の取得を意味していた。しかし、今日ではその大学院の修士課程、専門職学位課程、博士課程の定める学位の他に、大学が提携する他大学特に外国にある大学の学位の修得も可能になるダブルディグリー・プログラムや学位の修得はできない代わりに知識や技術の修得のみに徹するノンディグリー・プログラムという教育課程もできるなど、大学院の修了資格としての学位のあり方も変わりつつある。

なお、同時に2つ以上の学位取得する制度として複数学位(ダブル・ディグリー)共同学位(ジョイント・ディグリー)がある。いずれも複数の学位を取得を意味する点では同義である。 但し制度としての複数学位とは、複数の大学が協定を結び、当該大学の課程を修了した者には修了した大学及び協定校の学位も同時に授与される制度をいう。これに対して、共同学位とはひとつの教育課程で複数の学位を授与を目指し教育を施す制度をいう。特に修士号を2つ取得することをダブルマスターと呼ぶことがあるが、高等な学位にいくに従い、こうした制度が年々充実・発展を遂げている。

日本の学位制度 [編集]

概要 [編集]

現在の日本学校教育法に基づく学位には、「博士」・「修士」・「学士」・「短期大学士」の4種類及び「専門職学位」がある。

第二次世界大戦終了前の学位は、文部大臣が授与する称号であり、いわゆる栄典ではないものの、階級位階勲等功級爵位などと並び称された栄誉ある称号であった。現在の学位は、大学または学位授与機構が授与する。大学が大衆化して卒業生や修了者が増加した今日では、単に「学位」と言った場合、その本来の意味とは異なり、「博士の学位」を指すことが多い(日本においては学位制度創設から長い期間、「学位」が「博士の学位」のみを指していたことも原因の一つと考えられる)。

学位の取得には、もともと学術的業績すなわち論文執筆を要求されるのが原則であった。博士の学位は、現在でももっぱら学位請求論文の提出、及び審査合格により授与される。修士の学位でも、論文の提出を必要としない課程はあるものの、論文の提出を義務付けている課程が多い。しかし、学士や専門職の学位においては、論文の提出を必須としていない課程も少なくない。

準学士専門士などの称号、並びに、各大学が独自に授与する名誉博士の称号など学校教育法で学位と規定されていないものは、法令上は名誉称号であり学位ではない。法令上の学位は世界的通用性を保証するものだが、これらの称号はあくまで日本国内でのみ通用するものとされる。

なお、学位は、大学又は大学評価・学位授与機構の学位記授与式(学位授与式)にて学位記の交付を以って授与されることが多い。その場合、欧米の例に倣って、学帽と呼ばれる房のついたキャップ、式服と呼ばれるガウンと学位章というフードの授与もなされる大学もある。また、学位記授与式や卒業式の間に限って、式服や学位章を貸与する大学もある。

日本の学位等の分類
分類 種類 授与される標準的な課程
学位 博士 大学院の博士課程
修士 大学院の修士課程
学士 大学
短期大学士 短期大学
学位 専門職学位 法務博士(専門職) 法科大学院
教職修士(専門職) 教職大学院
修士(専門職) 専門職大学院(法科・教職大学院を除く)
称号 準学士 高等専門学校
高度専門士 特定の専修学校の専門課程
専門士 特定の専修学校の専門課程

日本における学位の歴史 [編集]

戦前 [編集]

日本では、1878年東京大学に学位授与権(学士号)が与えられ、東京大学は、法学士・理学士・文学士・医学士・製薬士の5つを学位と定めた。当時、他にも工部大学校札幌農学校が学位を授与していた。明治12年には文部省が学術上功績顕著な科学者を優遇するために学術の発達に寄与するため必要な事業を行うことを目的として、東京学士院が創設された。

1886年帝国大学令(明治19年勅令第3号)が発布され、翌1887年学位令(明治20年勅令第13号)が発布された。この学位令では、日本で教育を受けた者や一定の研究を行った者に、大博士または博士の学位を授与することになった。学位制度そのものは西欧の制度に由来するが、日本語としての学位呼称については、古く律令体制下における官職名がモデルとなっている。博士は中国王朝の制度を基につくられた大宝律令官制において設置されていた官名であり、学士という呼称も皇太子の教育官であった東宮学士に由来する。

1886年、東京大学が帝国大学に改組されて初代総長であった加藤弘之男爵元老院議官に転進し、その謝恩会が開かれたのが発端となり、同大学卒業生により学士会が創設された。

1887年に発布された学位令では、各博士会の審査を経て、授与権者の文部大臣が授与するものとなった。このため大学が授与できるとされた学士号は称号と位置づけられることとなった。こうして、1887年の学位令発令から1991年の学校教育法および学位規則の改正まで、学士号は学位ではなく称号として扱われた。

学位令は1898年に改正され(明治31年勅令第344号)、学位は、法学博士医学博士薬学博士工学博士文学博士理学博士農学博士林学博士および、獣医学博士の9種とされた。1886年の学位令が定めていた大博士の学位を授与された者は1人もなく、大博士の学位は、このときに博士の学位に統合されている。また、学位の授与・剥奪の審査を博士会という審議機関に委ねることにした(博士会規則:明治31年勅令第345号)。

(例)従二位勲一等男爵医学博士北里柴三郎

1906年には学術状況を高めるために、東京学士院が帝国学士院に改組された。1911年4月には日本の学術成果の向上と業績への顕彰を目的として帝国学士院恩賜賞が創設された。また同年11月には帝国学士院賞も創設され、日本の学界の育成促進を支援し、これを大いに顕彰することとなった。1920年には、学位令の改正(大正9年勅令第200号)があり、学位授与権が再び大学に移され、博士会制度も廃止された。

なお、戦前の一部の旧制専門学校においては、得業士の称号を付与するという制度があった。

例・昭和3年に創設された東京高等歯科医学校は(現・東京医科歯科大学)は日本初の官立歯科医学校であったため、従来の歯科医学士という名称を嫌い、卒業生には歯科得業士という学位が授与された。

戦後 [編集]

第二次世界大戦後、日本全体の制度改革によって学校教育法が制定され、学位令は廃止された。学位制度は、学校教育法(昭和22年法律第26号)とその施行省令である学位規則に基づくものとされた。戦後の学術環境の変化としては1947年には帝国学士院は日本学士院に改組されて現在に至っている。この改組によって帝国学士院恩賜賞は日本学士院恩賜賞に、同じく帝国学士院賞は日本学士院賞に改称された。

1953年には、学位規則(昭和28年4月1日文部省令第9号)が公布され、日本の学位において、それまでの博士の学位に加えて修士の学位が創設され、日本の学位は大きく2種類とされた。それ以降、日本の大学院は、修士課程・博士前期課程(標準修業年限2年)、博士後期課程(標準修業年限3年)となり、所定の単位を修得し、学位論文その他の要件を満たす者に対して博士または修士の学位が授与されるようになった。学術環境の面では1956年、日本学士院法が制定されることとなり日本学士院は日本学術会議からの分離独立がなされた。

1986年には、価値観、生活環境の多様化と高齢化社会の到来に向けて生涯学習の必要性が高まり、大学のほかに学位を授与する機関の創設について検討することが提言された。これにより、1991年に文部科学省の施設等機関として学位授与機構(現在の独立行政法人大学評価・学位授与機構)が創設され、防衛大学校防衛医科大学校水産大学校海上保安大学校気象大学校職業能力開発総合大学校国立看護大学校の7省庁大学校の卒業者や、大学の科目履修や短期大学・高等専門学校の専攻科で一定の学修を行った短期大学・高等専門学校・専修学校専門課程の卒業者に対して、同機構の審査を経て、同機構から学位が授与されるようになった。

1991年における学校教育法の改正では、「学士の称号」が「学士の学位」に変更され、日本の学位に学士の学位が加わって、学士、修士、博士の3種類となった。さらに、1991年の学校教育法の改正では、短期大学または高等専門学校を卒業した者に準学士の称号が付与されることとなった。同法附則により、それまで称号として扱われていた学士は、改正後の学校教育法による学士の学位とみなされている。

1994年には、文部省告示により、学校教育法にいう学校(学校教育法第1条の規定に基づく学校、1条学校)ではない専修学校専門課程専門学校)を修了した者にも専門士の称号を授与することとなった。2003年、高度専門職業人養成の観点から、法曹を養成する法科大学院を中心に、専門職大学院の設置が認められた。専門職大学院は研究者の養成ではなく高度専門職業人育成の観点から、博士の学位でも修士の学位でもない第三の学位(すなわち専門職学位)が創設された。この第三の学位たるべき実務者のための学位は、学校教育法に「文部科学大臣が定める学位」として規定された上でそれぞれの分野における事情を踏まえて専門職学位と総称されることとなった。その上で具体的な名称については審議を経て、学位規則において法科大学院修了者には「法務博士(専門職)」、その他の専門職大学院修了者には「○○修士(専門職)」という専門職学位を授与することとなった。

短期大学の卒業者にも国際的な基準に合わせて学位を授与についても検討が進められ、中央教育審議会の答申を経て、2005年には新たに「短期大学士」の学位が創設されている。

学位の表記方法 [編集]

学位における専攻分野の表し方については、文部科学省令の大学設置基準及び学位規則で、1991年(平成3年)以前において、専攻分野が明示された「○学修士」「○学博士」というものが授与されていたが、1991年(平成3年)以降は、「学士(専攻分野)」「修士(専攻分野)」「博士(専攻分野)」という専攻分野を付記する形で授与されるよう改正された。

また、専門職大学院を修了した者に与えられる学位は、専門職学位とされて、通常の「博士」や「修士」とは別個のものとされてる。現在、学位規則上に専攻分野の名称と共に明記のある学位は、次の2つである。

また、学位規則においては、学位を表記する時に授与した大学又は大学評価・学位授与機構の名称を付記することになっている。この大学名等の付記の仕方は学位規則では明記されておらず、単に「学位を授与された者は、学位の名称を用いるときは、当該学位を授与した大学又は独立行政法人大学評価・学位授与機構の名称を付記するものとする。 」(学位規則第11条)とのみ規定されている。そのため、大学名等の付記の表記方法は統一されていない。但し、一部の大学の学位規程には付記方法が規定されており、具体的には次のようなものがある(博士以外の修士・学士・専門職学位・短期大学士も同じ。)。

  • 「博士(専攻分野)(大学名)」[1]
  • 「博士(専攻分野)大学名」[2]
  • 「博士(専攻分野・大学名)」[3]

日本における学位・称号の種類 [編集]

日本で4年制の大学を卒業した者は学士の学位、高度専門士付与校たる専修学校専門課程を卒業した者は高度専門士の称号が、それぞれ授与される。更に2年制または3年制の短期大学においては短期大学士の学位、高等専門学校では準学士の称号、専修学校専門課程では専門士の称号が授与される。

学位と称号とでは、国際通用性の有無などの違いこそあるが、教育課程としての程度は同じであると判断され、その後の進路においても短期大学士・準学士・専門士はともに4年制大学の学部3年生に編入学することができる。さらに、学部及び高度専門士付与校たる専修学校を卒業した者は、大学院修士課程及び専門職学位課程への入学資格を認められる。また、2年制及び3年制の大学院修士課程(博士前期課程)と専門職学位課程(法科大学院及びその他の専門職大学院)は教育機関としての趣旨や認定する能力にこそ違いはあるが、ともに大学院博士課程(博士後期課程)への入学資格を認定される。

  教育課程:授与される学位及び称号

  • 大学院博士課程(博士後期課程):★博士
  • 大学院修士課程(博士前期課程):★修士
  • 大学院専門職学位課程:★専門職学位
  • 大学学部:★学士
  • 大学評価・学位授与機構が認定した省庁大学校の課程:★学士、★修士、★博士
  • 大学評価・学位授与機構が認定した短期大学・高等専門学校の専攻科:★学士
  • 4年制専修学校専門課程:●高度専門士
  • 短期大学学科:★短期大学士
  • 高等専門学校:●準学士
  • 2・3年制専修学校専門課程:●専門士

※★は学位、●は称号。

大博士の学位 [編集]

大博士については、1887年の学位令で、大博士の学位が置かれ、文部大臣が授与することとなっていたが、授与例は1例も無いまま廃止された。

博士の学位 [編集]

博士ドクター)の学位は、日本において最上位の学位。大学院博士後期課程(博士課程)修了者、あるいは大学院への論文提出により同等の能力を持つと認められた者に対しては、当該大学から授与される(前者を課程博士、後者を論文博士と呼ぶ)。また、防衛大学校研究科博士後期課程と防衛医科大学校医学研究科の修了者に対しては、独立行政法人大学評価・学位授与機構への論文提出及び審査を経て、同機構から授与される。博士後期課程(博士課程)を修了するには、大学に学位論文を提出し、審査に合格しなければならない。博士の学位を授与した際には授与機関(授与大学あるいは大学評価・学位授与機構)は文部科学省への届け出ることになっているが、この際、授与機関ごとに通し番号が付けられるが、課程博士には甲1234XX号のように「甲」が、論文博士には乙1234XX号のように「乙」が付される。ただし、授与機関が発行する学位記には必ずしも「甲」・「乙」の区別が記載されるとは限らず、授与機関によっては両者の通し番号が付されている例もある。

修士の学位 [編集]

修士マスター)は、博士と学士の中間に位置する大学院レベルの学位。大学院の修士課程(博士前期課程)を修了した者に授与される。また、防衛大学校研究科博士前期課程、国立看護大学校研究課程部、水産大学校研究科、職業能力開発総合大学校研究課程を修了した者に対しては、独立行政法人大学評価・学位授与機構への論文の提出、審査を経て、同機構から授与される。なお、海外においては準修士という学位があるが日本ではそのような学位はないものの、大学独自の称号として設定している場合がある。

専門職学位 [編集]

専門職学位は、専門職大学院を修了した者に授与される学位。法科大学院の修了者には「法務博士(専門職)」、それ以外の専門職大学院を修了した者には「○○修士(専門職)」の学位が授与される。専門職学位は、大学院の学位ではあるが博士・修士と異なる第3の学位であり、教育課程としては修士課程(博士前期課程)と同等とみなされるが、研究上の博士・修士の学位とは区別される。

学士の学位 [編集]

学士は、大学の学部における所定の課程を修め所要単位を取得して卒業を認められた者、省庁大学校(防衛大学校本科、防衛医科大学校医学科、海上保安大学校本科、気象大学校大学部、国立看護大学校看護学部、水産大学校本科、職業能力開発総合大学校長期課程)を卒業して独立行政法人大学評価・学位授与機構に申請した者、高等専門学校の専攻科にて所定の単位を修得し、独立行政法人大学評価・学位授与機構によって大卒と同等以上の学力を有すると認められた者、短期大学を卒業後にさらに高等教育機関において一定の学習を修めて所定の単位を修得し、大学評価学位授与機構によって大卒と同等以上の学力を有すると認められた者に授与される学位。学士の学位は大学卒業者に対しては当該大学から、その他の者に対しては大学評価・学位授与機構から授与される。英語ではbachelor(バチェラー 独身・未婚の意もあり)と呼ぶが、日本ではこの呼称は一般的ではない。

短期大学士の学位 [編集]

短期大学士は、短期大学を卒業した者に授与される学位である。

学位に準ずる又は学位に類する日本の称号 [編集]

法律で定められているものとして「準学士」が、文部科学省告示で定められているものとして「専門士」があり、そのほかに各大学が独自に授与する「名誉博士」などが有名である。以下、学位に準ずる称号及び学位に類する称号を解説する。

法令で定められたもの [編集]

  • 準学士の称号 - 高等専門学校を卒業した者に付与される。学校教育法に定めがある。標記は「準学士(○学)」。
  • 高度専門士の称号 - 専修学校の専門課程(専門学校)のうち、以下の条件を満たすと文部科学大臣が認定し、官報で公示した専修学校の専門課程の課程を卒業した者に授与される。修業年限は大学学部と同等であり、文部省の指導により標記は「高度専門士(○専門課程)」。
    • 修業年限が4年以上のもの、
    • 修業年限の期間を通じた体系的な教育課程の編成がされていること、
    • 修了に必要な総授業時数が3,400時間以上であること、
  • 専門士の称号 - 専修学校の専門課程(専門学校)のうち、以下の条件を満たすと文部科学大臣が認定し、官報で公示した専修学校の専門課程の課程を卒業した者に授与される。「専修学校の専門学校の修了者に対する専門士の称号の付与に関する規程」(平成6年文部省告示第84号)に定めがある。文部科学省の指導により表記は、「専門士(○専門課程)」。
    • 修業年限が2年以上のもの。
    • 課程の修了に必要な総時間数が1700時間以上であること。
    • 試験等で成績評価を行い、その評価に基づいて課程修了の認定を行っていること。
  • 得業士の称号 - 旧制の専門学校、特に医学専門学校の卒業生などの称号として、一部の学校で授与していた。現在は廃止。

法令の定めのない類似の称号 [編集]

  • 名誉博士の称号 - 日本においては、各大学が独自に授与するもの。通称して名誉称号名誉学位といわれる。多くは授与する大学に関係する者の中で、著名な研究を行ったり、社会的に有名になった者に授与される。学術的評価というよりは社会的な活動なり功績を称えるという顕彰の意味合いが強い。
  • 名誉教授の称号(学校教育法に規定された称号だが、各大学の規定に基づき独自に授与。)
  • 大学の授与する称号
  • 大学病院の授与する称号
  • 学会の授与する称号
  • その他市民カレッジ・民間団体などの称号

脚注 [編集]

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  1. ^ 麗澤大学[1]など
  2. ^ 学習院大学[2]・学習院女子大学[3]など
  3. ^ 神奈川大学[4]など

外部リンク [編集]

廃藩置県

明治4年10~11月 [編集]

明治4年10月28日(1871年12月10日)から11月22日(1872年1月2日)に行われた府県合併によって、各府県の管轄区域は国・郡を単位とする一円的な領域に再編された。

以下、法令全書所収の太政官布告により明治4年末の段階の府県とそのエリアを示す(日付は左から旧暦、新暦)。ただし、太政官布告に記載されたエリアと実際のエリアには若干の異同がある。また合併の期日も、資料によってはこれと異なるものもある。

東北地方
陸奥国一円、松前(渡島国のうち 福島郡・津軽郡・檜山郡・爾志郡)
陸中国のうち 閉伊郡・和賀郡・稗貫郡・紫波郡・岩手郡・九戸郡
陸前国のうち 本吉郡・登米郡・栗原郡・玉造郡・気仙郡、陸中国のうち 胆沢郡・江刺郡・磐井郡
磐城国のうち 宇多郡(一部)・亘理郡・伊具郡・苅田(刈田)郡、陸前国のうち 牡鹿郡・桃生郡・遠田郡・志田郡・賀美(加美)郡・黒川郡・宮城郡・名取郡・柴田郡
  • 平県(11月2日(12月13日))
磐城国のうち 宇多郡(一部)・行方郡・標葉郡・田村郡・磐城郡・石川郡・白川郡・磐前郡
磐城国のうち 白河郡、岩代国のうち 信夫郡・安達郡・安積郡・岩瀬郡・伊達郡
岩代国のうち 会津郡・耶麻郡・大沼郡・河沼郡
  • 実際には越後国蒲原郡のうち旧会津藩領の区域(後の東蒲原郡)も管轄した。
陸中国のうち 鹿角郡、羽後国のうち 平鹿郡・雄勝郡・仙北郡・由利郡・川辺(河辺)郡・秋田郡・山本郡
羽前国のうち 田川郡、羽後国のうち 飽海郡
羽前国のうち 村山郡・置賜郡(一部)・最上郡
羽前国のうち 置賜郡(一部)
関東地方
常陸国のうち 多賀郡・久慈郡・那賀(那珂)郡・茨城郡・真壁郡
常陸国のうち 新治郡・筑波郡・河内郡・信太郡・行方郡・鹿島郡、下総国のうち 香取郡・匝瑳郡・海上郡
下総国のうち 結城郡・猿島郡・葛飾郡・相馬郡・岡田郡・豊田郡・千葉郡・埴生郡・印旛郡
安房国一円、上総国一円
下野国のうち 芳賀郡・塩谷郡・那須郡・河内郡
下野国のうち 足利郡・簗田(梁田)郡・寒川郡・安蘇郡・都賀郡、上野国のうち 邑楽郡・新田郡・山田郡
上野国のうち 利根郡・吾妻郡・勢多郡・群馬郡・碓氷郡・那波郡・甘楽郡・佐位郡・片岡郡・多胡郡・緑野郡
武蔵国のうち 横見郡・入間郡・秩父郡・男衾郡・大里郡・榛沢郡・賀美郡・幡羅郡・比企郡・新座郡・那賀郡・児玉郡・高麗郡・多摩郡(一部)
  • 太政官布告では多摩郡を入間県東京府に分けて管轄するものとしているが、実際には一部を東京府の管轄とし(後、東多摩郡を経て豊多摩郡の一部)、残りの区域(後の西多摩郡・南多摩郡・北多摩郡)は神奈川県の管轄となった。
武蔵国のうち 埼玉郡・葛飾郡(一部)・足立郡(一部)
武蔵国のうち 荏原郡・豊島郡・多摩郡(一部)・足立郡(一部)・葛飾郡(一部)
相模国のうち 三浦郡・鎌倉郡、武蔵国のうち 橘樹郡・久良岐郡・都筑郡
相模国のうち 足柄上郡・足柄下郡・高座郡・愛甲郡・淘綾郡・津久井郡、伊豆国一円
  • 太政官布告では高座郡を足柄県管轄としているが、実際には神奈川県の管轄とされた。
中部地方
佐渡国一円
越後国のうち 蒲原郡・岩船郡
越後国のうち 頸城郡・古志郡・魚沼郡・苅羽(刈羽)郡・三島郡
越中国のうち 礪波郡・新川郡・婦負郡
能登国一円、越中国のうち 射水郡
加賀国一円
越前国のうち 足羽郡・吉田郡・丹生郡・阪井(坂井)郡・大野郡
若狭国一円、越前国のうち 今立郡・南条郡・敦賀郡
甲斐国一円
信濃国のうち 埴科郡・高井郡・水内郡・佐久郡・更科(更級)郡・小県郡
飛騨国一円、信濃国のうち 筑摩郡・伊那郡・諏訪郡・安曇郡
  • 岐阜県(11月22日(1872年1月2日))
美濃国一円
駿河国一円
遠江国一円
三河国一円、尾張国のうち 知多郡
尾張国のうち 春日井郡・愛知郡・葉栗郡・海東郡・海西郡・丹羽郡・中島郡
近畿地方
紀伊国のうち 伊都郡・那賀郡・海部郡・有田郡・日高郡・牟婁郡(一部)
  • 長浜県(11月22日(1872年1月2日))
近江国のうち 神崎郡・愛知郡・犬上郡・坂田郡・浅井郡・伊香郡
  • 大津県(11月22日(1872年1月2日))
近江国のうち 高島郡・滋賀郡・栗田(栗太)郡・野洲郡・甲賀郡・蒲生郡
  • 京都府(11月22日(1872年1月2日))
山城国一円、丹波国のうち 船井郡・何鹿郡・桑田郡
丹後国一円、但馬国一円、丹波国のうち 多紀郡・氷上郡・天田郡
播磨国一円
摂津国のうち 八部郡・兎原(菟原)郡・武庫郡・川辺郡・有馬郡
淡路国のうち 津名郡
摂津国のうち 島上郡・島下郡・豊島郡・能勢郡・西成郡・東成郡・住吉郡
  • 堺県(11月22日(1872年1月2日))
河内国一円、和泉国一円
  • 奈良県(11月22日(1872年1月2日))
大和国一円
伊賀国一円、伊勢国のうち 安濃郡・安芸郡・鈴鹿郡・河曲郡・三重郡・桑名郡・員弁郡・朝明郡
  • 渡会県(11月22日(1872年1月2日))
志摩国一円、伊勢国のうち 多気郡・度会郡・飯野郡・飯高郡・一志郡、紀伊国のうち 牟婁郡(一部)
中国地方
因幡国一円、伯耆国一円
出雲国一円、隠岐国一円
石見国一円
美作国一円
備前国一円
備中国一円、備後国のうち 沼隈郡・深津郡・安那郡・品治郡・蘆田郡・神石郡
安芸国一円、備後国のうち 御調郡・世羅郡・三谿郡・三上郡・奴可郡・甲怒(甲奴)郡・三好郡・恵蘇郡
周防国一円、長門国一円
四国地方
阿波国一円、淡路国一円(ただし、津名郡は5日後に兵庫県に編入された)
讃岐国一円
伊予国のうち 宇摩郡・野間郡・新居郡・周布郡・桑村郡・越智郡・風早郡・和気郡・温泉郡・伊予郡
伊予国のうち 宇和郡・喜多郡・浮穴郡・久米郡
九州地方
豊前国一円
豊後国一円
筑前国一円
筑後国一円
肥前国のうち 松浦郡(一部)・藤津郡・杵島郡・佐賀郡・神崎(神埼)郡・三根郡・養父郡・基肄郡、対馬国一円
肥前国のうち 彼杵郡・高来郡・松浦郡(一部)、壱岐国一円
肥後国のうち 玉名郡・山鹿郡・菊池郡・山本郡・阿蘇郡・託摩(託麻)郡・飽田郡・合志郡・上益城郡
肥後国のうち 下益城郡・宇土郡・球磨郡・葦北郡・八代郡・天草郡
日向国のうち 那珂郡(一部)・宮崎郡(一部)・諸県郡(一部)・児湯郡・臼杵郡
日向国のうち 那珂郡(一部)・宮崎郡(一部)・諸県郡(一部)、大隅国のうち 菱刈郡・桑原郡・姶良郡・囎唹郡・肝属郡・大隅郡
薩摩国一円、琉球国一円、大隅国のうち 熊毛郡・馭謨郡
  • 明治5年9月14日(1872年10月16日):琉球国を琉球藩とする(奄美地方は大島郡となり大隅国に属した)。

明治4年12月27日 [編集]

明治4年12月27日(1872年2月14日)付の太政官布告による府県の配列は、以下の通りである。

東京府 京都府 大阪府 神奈川県 兵庫県 長崎県 新潟県 埼玉県 入間県 足柄県 木更津県 印旛県 新治県 茨城県 群馬県 橡木(栃木)県 宇都宮県 奈良県 堺県 安濃津県 度会県 名古屋県 額田県 浜松県 静岡県 山梨県 大津県 長浜県 岐阜県 筑摩県 長野県 仙台県 福島県 磐前県 若松県 一関県 盛岡県 青森県 山形県 置賜県 酒田県 秋田県 敦賀県 福井県 金沢県 七尾県 新川県 柏崎県 相川県 豊岡県 鳥取県 島根県 浜田県 飾磨県 北条県 岡山県 深津県 広島県 山口県 和歌山県 名東県 香川県 松山県 宇和島県 高知県 福岡県 三潴県 小倉県 大分県 伊万里県 熊本県 八代県 都城県 美々津県 鹿児島県

明治9年の合併 [編集]

明治9年(1876年)4月18日8月21日(特に8月21日)に県の大規模な合併が実施されたが、この中には現在でも地域間対立や地理的要件の不一致などの問題を孕んでおり名目上は一つの県でありながら、実質上は別の県という地域が少なくない。

後に分割が実現された県

一度は廃止されながら、復活した県 [編集]

尚、明治政府は長野県も2分割(長野県、筑摩県)する方針であったが筑摩県庁の焼失により分割が中止された。

またこれとは別に、北海道函館県札幌県根室県に分割されていた時期がある(明治15~19年(1882~1886年)、三県一局時代を参照)。

参考文献・関連書籍 [編集]

関連項目 [編集]

ウィキソース藩ヲ廃シ県ヲ置クの原文があります。
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