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経営学修士
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経営学修士(けいえいがくしゅうし)とは、経営学を修めたものに対して授与される学位(修士)である。
英米圏においては、学位の名称からMBA(Master of Business Administration)と略称される。日本では、文部科学省による「専門職大学院」制度の新設に基づく専門職学位課程によるものと、従来の修士課程によるものとの二通りがあり、「日本版MBA」と呼ばれる。
英米圏においてはビジネススクール(経営大学院)、日本においては大学院(修士課程または専門職学位課程)が、これを授与する。
概説 [編集]
MBAは、米国において企業経営を科学的アプローチによって捉え、経営の近代化を進めるとの考え方のもとに、19世紀末に登場した高等教育コースである。1881年にウォートン・スクールが最初のビジネススクールとして設立され、1920年代にはハーバード・ビジネス・スクールが状況分析と経営判断の能力を訓練するケースメソッドという教育アプローチを開発し、多くのビジネススクールに採用されるようになった。1970年代後半にはMBAは米国でビジネス界の「エリート」の学位として知られるようになり、企業の経営幹部へのパスポートとして定着した。現在でも、特にトップスクールのMBA取得者は、能力のみならずその同窓の人脈の広さなどから、大企業の幹部候補として高額の給与で採用される例も多い。
MBAプログラムは、研究者ではなく企業経営の実務家を養成することを狙いとしていたため、早くから実務家の利便性を考えたコース開発が行われてきた。1940年にはシカゴ・ビジネス・スクールが初の現役エグゼクティブ(企業幹部)向けのMBA(EMBA)を設置したのを皮切りに、多くのMBAスクールがEMBAコースを併設している。[1] 2年修了が標準的であるが、1年の短期コース、夜間や週末に行われるパートタイムコース、通信コースなどさまざまな形態のプログラムが存在する。それらの多くは、実務家が職務を中断することなく学べるように配慮されたものである。米国では、1980年代末を転機としてエリート学生の大企業志向が終わり、独立起業に価値を見出す価値観が強まった。これに伴い、MBAも起業家養成の意味合いを強め、起業家育成に特化したMBAプログラムも登場した。[2]
学位の認証 [編集]
各教育機関は、政府に公認された民間かつ非営利の認定団体による認証(Accreditation)を受けることにより、自校のMBAコースの質を保証している。現在、国際的に最も権威があると考えられているMBA認証機関はAACSBであり、米国を中心とする30カ国、約500のビジネススクールが加盟している。このほかの主だった認証機関(システム)には、イギリスに本拠を置くAMBA(Association of MBAs)、ベルギーに本拠を置くEFMD(European Foundation for Management Development)の発行するEQUIS(European Quality Improvement System)などがある。現在、日本では慶應義塾大学および名古屋商科大学の2校のみがAACSBからの認証を受けている。
2003年、文部科学省は従来の大学院研究課程とは別に、企業経営や会計、法務などの実務家を養成する「専門職大学院」の制度を作り、修士論文作成という一定の研究成果を要求せず(あるいは修士論文提出を不要とする)、授業の履修及び知識習得に重きを置く、欧米のMBAに近い考え方の「経営学修士号」の学位発行も認めるようになった。これにより、2007年3月(平成18年度末)現在、国立・私立大学合わせて29校が「経営学/経営管理修士(専門職)」の学位発行を認められるようになった。専門職大学院の設置基準の中には、従来の研究成果重視での大学院では見られなかった「第三者機関による定期的な評価」の義務づけがうたわれており、修士論文を執筆しなくともその教育の質が一定レベルに達するよう意図されているが、その履行の実態はほぼ不明である。
主な経営学修士、及びMBAプログラム・ビジネススクール [編集]
アメリカ合衆国 [編集]
米国では現在、500を越す大学・教育機関がMBAコースを設置している。 アイビーリーグ8校のうち、ブラウン大学とプリンストン大学はMBAコースを持たない。MBAは学校によって特色があり一概にどの学校がトップであるかとは判断しにくいが、アメリカでは主要マスコミから毎年ランキングが発表されており、そのランキングは就職率や初任給の多寡、また生徒や実業界からの評価により変動している。
アメリカの主なMBAプログラム
- A.B.フリーマン・スクール・オブ・ビジネス(A.B.Freeman School of Business):ルイジアナ州ニューオーリンズにあるテューレーン大学Tulane Universityの経営学大学院
- アンダーソン・スクール・オブ・マネジメント(Anderson School of Management):カリフォルニア州ロサンゼルスにあるカリフォルニア大学ロサンゼルス校の大学院
- ボストン大学・スクール・オブ・マネージメント(Boston University School of Management):マサチューセッツ州ボストンにあるボストン大学の経営大学院。*[5]
- ブロード・スクール・オブ・マネジメント(Broad School of Management):ミシガン州イーストランシングにあるミシガン州立大学の大学院
- カールソン・スクール・オブ・マネジメント(Carlson School of Management):ミネソタ州ミネアポリスにあるミネソタ大学ツインシティー校の大学院
- コロンビア・ビジネス・スクール(Columbia Business School):ニューヨーク州ニューヨーク市にあるコロンビア大学の経営学大学院。
- フュークア・スクール・オブ・ビジネス(Fuqua School of Business):ノースカロライナ州ダーラムにあるデューク大学の大学院
- ハース・スクール・オブ・ビジネス(Haas School of Business):カリフォルニア州バークレーにあるカリフォルニア大学バークレー校(UCB)の経営学部・大学院
- ハーバード・ビジネス・スクール(Harvard Business School、HBS):マサチューセッツ州ケンブリッジにあるハーバード大学の経営学大学院。
- ジョンソン・スクール(Johnson School):ニューヨーク州イサカにあるコーネル大学の大学院
- クラナート・スクール・オブ・マネジメント(Krannert School of Management):インディアナ州ウェストラファイエットにあるパデュー大学の経営学部・大学院。
- ケロッグ・スクール・オブ・マネジメント(Kellogg School of Management):イリノイ州エバンストンにあるノースウェスタン大学の大学院。
- ケナン・フラグラー・ビジネス・スクール(Kenan Flagler Business School):ノースカロライナ州チャペルヒルにあるノースカロライナ大学チャペルヒル校の大学院
- マリオット・スクール・オブマネジメント(Marriott School of Management):ユタ州プロボにあるブリガムヤング大学の大学院
- ケリー・スクール・オブ・ビジネス(Kelley School of Business):インディアナ州ブルーミントンにあるインディアナ大学の大学院。
- マーシャル・スクール・オブ・ビジネス(Marshall School of Business):カリフォルニア州ロサンゼルスにある南カリフォルニア大学(USC)の経営大学院
- マーティン・J・ウィットマン・スクール・オブ・マネージメント(Martin J. Whitman School of Management):ニューヨーク州シラキューズにあるシラキューズ大学の大学院
- メイソン・スクール・オブ・ビジネス(Mason School of Business):バージニア州ウィリアムズバーグにあるウィリアム・アンド・メアリー大学の経営大学院。
- マコームズ・スクール・オブ・ビジネス(McCombs School of Business):テキサス州オースティンにあるテキサス大学オースティン校の大学院
- メンドーザ・カレッジ・オブ・ビジネス(Mendoza College of Business):インディアナ州サウスベンドにあるノートルダム大学の経営大学院。
- MITスローン・スクール・オブ・マネジメント(MIT Sloan School of Management):マサチューセッツ州ケンブリッジにあるマサチューセッツ工科大学の経営大学院。
- ロバート・H・スミス・スクール・オブ・ビジネス(Robert H. Smith School of Business):メリーランド州カレッジパークにあるメリーランド大学の大学院
- スタンフォード大学経営大学院(Stanford Graduate School of Business):カリフォルニア州スタンフォードにあるスタンフォード大学の経営学大学院。
- ロス・スクール・オブ・ビジネス(Stephen M. Ross School of Business):ミシガン州アナーバーにあるミシガン大学の経営学部及び大学院。
- テッパー・スクール・オブ・ビジネス(Tepper School of Business):ペンシルバニア州ピッツバーグにあるカーネギーメロン大学の大学院
- トービン・カレッジ・ビジネス・スクール (Tobin College of Business School) ニューヨーク州ニューヨーク市にあるセント・ジョーンズ大学の経営学大学院。
- タック・スクール・オブ・ビジネス(Tuck School of Business at Dartmouth):ニューハンプシャー州ハノーバーにあるダートマス大学の経営学大学院。
- シカゴ大学経営大学院(University of Chicago Graduate School of Business、Chicago GSB):イリノイ州シカゴにあるシカゴ大学の経営学部大学院。
- ウォートン・スクール(Wharton School):ペンシルバニア州フィラデルフィアにあるペンシルバニア大学の大学院。
- ズィックリン・スクール・オブ・ビジネス(Zicklin School of Business):ニューヨーク州ニューヨーク市にあるニューヨーク市立大学バルーク校の経営大学院。
(アルファベット順)
ヨーロッパ [編集]
ヨーロッパでは、INSEAD、ロンドン・ビジネス・スクール(LBS)、IMDの3校が有名である。
イギリス
- ジャッジ・ビジネス・スクール(Judge Business School):イギリス・ケンブリッジにあるケンブリッジ大学の経営大学院*[6]
- ロンドン・ビジネス・スクール(London Business School):イギリス・ロンドン*[7]
- マンチェスター・ビジネス・スクール(Manchester Business School):イギリス・マンチェスター*[8]
- サイード・ビジネス・スクール(Said Business School):イギリス・オックスフォードにあるオックスフォード大学の経営大学院[9]
- ダラム・ビジネス・スクール(Durham Business School):イギリス・ダラムにあるダラム大学の経営大学院*[10]
フランス
- HEC経営大学院(École des hautes études commerciales):フランス・パリ*[17]
- INSEAD:フランス・フォンテンブロー及びシンガポール*[18]
- (参照:Le point誌のランキング[1][2])
出典 [編集]
外部リンク [編集]
- [24] 世界MBAランキング(日本)
- Exduco Best Graduate School Guide
- Association to Advance Collegiate Schools of Business (AACSB)
- MBA Sciences-Po
- skoolix MBA admission tips and search tool for US MBA programs
- [25] MBA tips
- Fortune/Universum Universum 100 Top MBA Employers
- 「ディプロマ(ディグリー)・ミル」問題について
関連項目 [編集]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E5%96%B6%E5%AD%A6%E4%BF%AE%E5%A3%ABロー・スクール (アメリカ合衆国)
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ロー・スクール(Law school)とは、アメリカ合衆国における法曹教育機関である。アメリカにおける法科大学院。通常、学士の学位を取得した上で入学するプロフェッショナルスクールとして位置づけられ、留学生などを除くと3年間のカリキュラムが一般的である。
概要(カリキュラム・学位) [編集]
アメリカ合衆国のロー・スクールは、主として、アメリカ合衆国内の一般の学生を中心とする「JD」(修了すると、ジュリス・ドクター(Juris Doctor)の学位が与えられる)の課程の学生と、合衆国外からの留学生等を中心とする「LL.M.」(修了すると、マスター・オブ・ロー(Master of Laws)の学位が与えられる)の課程の学生で構成されている。日本人の留学生はLL.M.の課程に入学することがほとんどであるが、アメリカ合衆国において「ロー・スクール」という場合には、一般的にはJ.D.の課程が念頭に置かれている。例えば、ロー・スクールに入学を希望する学生は、各種メディアが公表しているロー・スクールのランキングを参考にする場合が多いが、その際のランキングはJ.D.の課程を評価したものである。
J.D.とLL.M.の構成比率は、各ロー・スクールによって異なり、LL.M.が極めて少数のロー・スクールもある。また、後述のように、ロースクールによっては、「M.C.L.又はM.C.J.(比較法修士)」等の他の学位取得のためのコースが別途存在し、さらに、合衆国外の各国から招聘された法学者の研究員(Visiting Scholar)や公官庁及び企業からの派遣者、提携大学における単位交換留学生等も授業等に参加している場合もある。
主要ロー・スクールにおいてJ.D.の学位を取得すれば、アメリカ合衆国の各州の司法試験受験資格が得られる。J.D.課程を修了した学生は、いずれかの州の司法試験を受験して、弁護士等の法曹の道に進むのがほとんどである。
J.D.課程 [編集]
メディカル・スクール(日本の医学部に相当)やビジネス・スクール(経済・経営学大学院)と同様に、学部卒業者を対象とする専門職養成大学院(プロフェッショナル・スクール)として設置されている。教育年限は通常3年で、修了者にはジュリス・ドクター(Juris Doctor:JD)の学位が与えられる。この学位は、元来LL.B.(bachelor of laws;法学士)と呼ばれていたものを名称変更したものである。
アメリカ合衆国における大学には、一部限定された範囲で法律を中心に教育する学部はあるものの、日本の法学部に相当する課程は存在しない。したがって、ロー・スクールのJD課程に入学する学生の学部段階("undergraduate"と呼ばれる)における専攻科目は様々であり(経済学、政治学、物理学、心理学、神経科学等々)、通常は、ロー・スクールに入学後に初めて学問としての法律に触れることとなる。学部を卒業後、そのままロー・スクールに進学する学生もいるが、学部卒業後に数年の勤務経験を経てから入学する学生も多い。これは、ロー・スクールの学費が極めて高額であることも関係している。このように、JD課程の学生は20歳代前半から後半にかけての学生が大半であるが、一方で、既に法曹以外の分野で長年経験を積んできた者が、転身してロー・スクールに入学する場合もしばしば見られ、学生のバックグランドは多様である。
JD課程に入学するためには、学部段階における成績(GPA)に加え、LSAC (Law School Admission Council) により全米で統一して実施されるLSATを受験する必要がある。いわゆる「トップスクール」に入学するためには、学部段階及びLSATにおいて好成績を取得しなければならない。
LL.M.課程その他 [編集]
J.D.を取得した者やアメリカ合衆国外でJDに相当する法律教育を受けた者を対象として、LL.M.(Master of Laws, 法学修士)コースを設置しているロー・スクールが多い。LL.M.コースは通常1年間の課程である。LL.M.コースの中には、例えば税法等の専門分野に定評があり、J.D.を取得したアメリカ人学生を中心に教育するところもあるが、多くのロー・スクールにおいては、LL.M.コースは外国で法学教育を受けた者を主たる対象としている。
外国の学生がLL.Mコースに入学するためには、本国で最初の法学教育を修了していることが必要であり、それらの教育機関の教員等からの推薦状が求められる。日本からの留学生の場合、この要件は、日本の大学の法学部または法科大学院(法学部や法科大学院を修了せずに法曹資格を得た者については司法研修所)を修了したことにより満たされる。また、英語を母国語としない入学希望者は、ロー・スクールが定める一定の基準を超えるTOEFLのスコア(多くはPBT600点、CBT250点、一部ではPBT620点、CBT260点)を取得することが要求されている。
日本人がロー・スクールに留学する場合、LL.M.コースに入学することがほとんどであり、日本の弁護士資格を有する者、裁判所・検察庁を含む官公庁からの派遣公務員、日本の大手企業の法務部門の担当者等が目立つ。
その他の学位 [編集]
修士の学位をロー・スクールによっては比較法修士(Master of Comparative Law (M.C.L.)、またはMaster of Comparative Jurisprudence (M.C.J.))としているところもある。また、LL.M.修了者を対象とした法学博士(Doctor of Juridical Science (S.J.D.、またはJ.S.D.))もあるが、これに進学する者は稀である。S.J.D.との混乱を避けるために、上記ジュリス・ドクターは通常「法学博士」とは翻訳されない。
ロー・スクールの授業 [編集]
ロー・スクールのほとんどの授業では、ケースブック(Casebook)と呼ばれる分厚い判例集が指定され、その内容に沿って授業が進められている。ケースブックの内容は様々であるが、その多くは、法律についての簡単な解説がなされた後に、当該法律に関連するケース(判例)の判決文がそのまま掲載されており、絵や図表等の付加や詳細な解説はほとんどなく、延々と判決原文が続くというものである。主要科目のケースブックは、概ね1,000ページ前後にも及び、古典的な堅牢な装丁と併せて重厚な書物である場合が多い。教授によって進度の違いはあるが、学生はこのケースブックを1科目につき週あたり平均40ページから100ページ程度を事前に読んで授業に臨むよう求められる。
授業における教授のスタイルも、学生と教授間での質疑・対話による進行(ソクラテス・メソッドなどと呼ばれる)を徹底して用いる教授から、教授が主に内容を解説するレクチャー方式を採用する教授など各教授あるいは学部・科目の内容に応じて様々である。一般に、教授が授業中に学生を指名して問いを投げかけたり、学生が挙手して教授に質問したりする等の頻度は高く、そのようなやり取りにおける積極性・内容を高く評価する評価システムがとられていることが多い。
成績評価など [編集]
ロー・スクール卒業者の絶対数が多いため、単に学位を得たことのみならず、学校の評判や在学中の成績が卒業生の将来に影響する。JD過程に所属する多くの学生は、1年目から就職活動を開始する。アメリカ合衆国のロー・ファームは一般に、通常、契約法(contract)、憲法(constitutional law)等の基礎科目が組まれる1年次の学生の成績を選考の材料としている。そこで、大手ないしは著名ロー・ファームへの就職を目指す学生を中心として、1年目に優秀な成績を収めようと必死に努力するため、特にJD課程の1年目は過酷な競争となる。JD課程の学生は、1年次、2年次の夏休み期間(通常、学期は9月開始、5月終了となる)にローファームなどでインターンを行うが、優秀な学生は、大手ロー・ファームにサマー・クラークとして勤務し、そのまま同じファームに就職するという場合もある。
ロー・スクールの2年目、3年目では、比較的専門性の高い科目がカリキュラムとして組まれており、学生はそれぞれ進路によって科目を選択することとなる。この時点では、既に就職先の決まった学生も多いため、1年目に比べれば多少のゆとりがある。もっとも、例えば大手ロー・ファームでのパートナー弁護士を目指す学生は、ロー・スクールで成績上位者に与えられる賞を取得することが1つのステータスとなるため、優秀な成績を収めるために昼夜努力している。
ローレビューの編集委員 [編集]
1年次の成績優秀者から、大学出版の法律雑誌(ロー・レビュー)の編集委員が選ばれる。編集委員の制度は各大学に共通して見られるもので法曹関係者を中心にその存在の認識度は高く、有名大学の編集委員であったという実績は、学生時代の優秀さを示すキャリアとして高く評価されるため、編集委員をめぐる競争は極めて激しい。アメリカにおける州最高裁判所調査官は、ロー・スクールを出身したばかりの法曹が1年交代で務めるのが通例であるが、その調査官も通常は有名大学の編集委員経験者から選ばれる。
各州の司法試験 [編集]
アメリカ法曹協会(ABA)認定のロー・スクールと、非認定のロー・スクールがあり、通常、アメリカ合衆国の各州の司法試験を受験するためには、認定校のJD取得者であることが必要とされる。カリフォルニア州では例外的に非認定校の卒業生にも受験を認めている。また、非認定のロースクール卒業生が一定期間弁護士事務所等で法律実務の経験を積む事で司法試験の受験資格を得られる州もある。
LL.M.を取得した外国人は、ニューヨーク州やカリフォルニア州など、いくつかの州で司法試験の受験資格を得ることが可能である。このため、ニューヨーク以外の州にある大学のロー・スクールのLL.M.を取得した場合でも、ニューヨーク州の司法試験を受験して、同州の弁護士資格を取得することが多い。現在では、日本とニューヨーク州の弁護士資格双方を有する者の数が年々増加している。
LL.M.の資格は、アメリカの大学の日本校が提供しているプログラムにより取得することが可能となっている。この中には、テンプル大学ジャパンキャンパスのロー・スクールプログラムなどが挙げられる。
連盟成立・結成にまつわる経緯と諸説 [編集]
東京六大学野球連盟が結成される当時は娯楽文化が現在とはだいぶ異なる様相を呈しており、当該野球対抗戦はスポーツ競技娯楽として絶大な人気を集めていた(詳細は前述の特徴の章を参照)。このため、六大学野球連盟成立前の加盟候補に挙がったチームや、成立後に至ってもこの連盟に加盟を希望するチームは枚挙にいとまなかった。また、東都大学野球連盟との関係に関してもさまざまな異説が流布されている。(詳細は東都大学野球連盟参照)以下にそれらにまつわる事例を紹介する。(下記の大学以外にも伝承・伝聞が諸説存在するが、検証可能なものについてのみ記述した。)
- 1903年、早稲田大学からの挑戦状に慶應義塾が応じ、初めての早慶戦を実施。
- 1906年、応援団同士の加熱問題を理由に早慶戦が中止
- 1914年、明治大学は、早慶戦中止中の両校の間をとりもって三大学野球リーグを結成(早慶戦は後日の六大学連盟成立まで実現せず)。
- 1917年、明治大学との関係が良好だった法政大学が三大学野球リーグに加盟。
- 1921年、早稲田大学野球部(飛田穂洲)の指導を仰いでいた立教大学が四大学野球リーグに加盟。
- 1925年、東京帝国大学が五大学野球リーグに加盟。六大学野球開始に伴い、それまで早慶戦の再開を固辞し続けていた慶應義塾大学側に対して、明治大学が中心となり「再開に応じなければリーグからの排除も辞さない」という条件を提示。これによりやむなくこれに慶應義塾大学が応じて正常な6校間のリーグ戦が成立した。
- 太平洋戦争終戦後のリーグ戦再開時に、同じく東京都内の大学野球有力校が多く所属している東都大学野球連盟などからの合併打診等があったが、そのまま変わらぬ加盟校構成を堅持したまま今に至っている。当時の東都合併拒否は、その直後の三大学野球王座決定戦の開催と全国大学野球連盟の結成の遠因にもなった。
脚注 [編集]
- ^ 球場の優先使用に関しては明治神宮野球場にも詳細を記述。
- ^ 但し、2001年秋季リーグ戦に優勝した慶應のパレードが社会情勢の不安から中止になった(「野球部 優勝パレードは中止に」『慶應塾生新聞』2001年10月号[1])
- ^ 2004年春季リーグ戦に優勝した明治は駿河台キャンパス周辺のみ[2]で、2006年春季リーグ戦に優勝した法政は市ヶ谷キャンパス周辺のみ[3]で優勝パレードを実施した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%85%AD%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%87%8E%E7%90%83%E9%80%A3%E7%9B%9F
連盟創設に関する諸説 [編集]
東都大学野球連盟発足の経緯は、関係者の回想や現在は閲覧できない(第二次世界大戦時の空襲などで文献が焼失しているなどのケースが多い)資料を孫引きした二次資料によるものが多く、参考となる一次資料に乏しいため、比較的信用できるとされている文献ですら、事実であったかどうかの検証が難しく、謎のままとなっている。そのことがさらにファンによる空想を書き立て、いろいろな異説がまことしやかに流れているのが現状となっている。以下の内容はこうした状況を踏まえた上で、比較的信用できる文献で使用されている説を反論も踏まえて列記したものである。
最も有力な説は、日本大学や國學院大學、専修大学は東京六大学野球連盟へ加盟申請を度々行っていたが拒否され続けたため、やむなく他の大学を誘い東都大学野球連盟を設立したというものである。加盟申請自体は実際に行われていたことが比較的信用できる資料として残存している。しかし、もし加盟できなかったので別の連盟を設立したというこの説が事実であるならば東都連盟発足当初の運営主軸は日本大学などになるはずで、連盟の中心が中央大学であったという事実が説明できない。
また、東都の母体である新五大学野球連盟が創設される以前、『東京帝国大学と法典論争をしていた中央大学は東京六大学野球連盟への加盟要請を拒否、同じく拒絶した日本大学・専修大学とともに東京六大学野球連盟に対抗する野球連盟を作ることを発起した。これに東京大学と農学分野で覇を競っていた東京農業大学が参加、日本大学と関係が深かった國學院大學も参加することになり、東京五大学野球連盟が結成された。さらに官立商科大学として東京大学と対立していた東京商科大学もこれに賛同、東都大学野球連盟として成立した。』という異説も伝わっている。この異説であるが、中央大学が当時法典論争が元で東京帝国大学とあらゆる分野で同席することを断固拒絶する学内風潮が強く、そのため現在の東京六大学からの加盟打診を検討する段階で自ら拒否したのは幾つかの文摘の記述によりほぼ事実であり、東京商科大学が東京帝国大学への吸収合併騒動[16]の影響によって当時、東京大学との関係が悪化していたのも事実である。さらに東京農業大学も農学に対する考え方[17]をめぐって東京帝国大学と対立状態にあったのもこれまた事実である。しかし一方で、信頼性の高い文献には日本大学や國學院大學、専修大学が東京六大学野球連盟へ加盟申請を度々行っていたことも記載されている。もしこの異説が事実であるならば、自ら望んだ東京六大学野球連盟加盟を自ら拒絶したということになり、重大な矛盾が生じることになる。
さらに以上とは別に、当時の関東の大学野球で東京六大学各校に準じる実力を持っていた大学は、日本大学と國學院大學の二校であったという説がある一方で、そうではなく、中央大学・専修大学・日本大学・東洋大学・上智大学などであり、國學院大學や東京商科大学はそれほどではなかったという説も残っている。しかし、これらも関係者間の伝承やそれを元にした記述程度の文字通り自己顕示的な逸話でしかないため信憑性の是非は今となっては問うのは難しい。
当時の早稲田大学野球部は、どちらかといえば大学野球連盟(現在の東京六大学野球連盟を意味している)の拡大には他校より積極的な考えを持っていたが、既存の他加盟校の反対(とりわけ明治大学や東大が反対したといわれている)によって日本大学や國學院大學などをはじめとした他の新規加盟がならなかったことを残念に思い、後日の新連盟(新五大学野球連盟)設立には積極的な支援をしたともされる。新五大学野球連盟の発足式は早大戸塚球場で実施をされているが、これもその早稲田大学側の意思の表れの一例とされている。一方、現代書館刊「六大学野球」という文献には東大加盟に至るまでとその後の加盟校の選定・決定には、当時の早大野球部監督の飛田忠順の意思が最終的には大きく影響していたゆえ、早稲田も他校の加盟反対という記述もある。
脚注 [編集]
16^ 申酉事件を参照のこと17^ 東京帝国大学が学問としての農学を重視したのに対し、東京農業大学は「農学栄えて農業滅びる」と唱えていた。
学校法人日本大学は、附属学校を「付属」と表記している。そのため、本稿では節名および以下の文章において、附属と記すべきところを全て付属と表記している。
学校法人日本大学が設置する付属高等学校11校、付属中学校5校、幼稚園1校は「正付属」と称され、学部に併設された「併設校」とそうでない「単独校」に区分される。この「正付属」のほかに「特別付属」「準付属」と称する付属学校がある。
「特別付属」とは、第二次世界大戦以前、日本大学の正付属校であったが、1946年に日本大学より独立し、別法人となった付属校である。日本大学の推薦入学制度を利用できる一方、他大学進学にも積極的に取り組める点が大きな特徴であり、半進学校的性格が強い。
上記以外の学校法人が設置した学校が「準付属」である。日本大学と準付属校契約を締結した学校法人(10法人)が設置した高等学校12校、中学校10校、小学校1校が校名として「日本大学」を称し、日本大学への推薦入学制度に加わっている。
校名は原則として、「正付属」は「日本大学○○高等学校・中学校」、「特別付属」は「日本大学第(漢数字)高等学校・中学校」、「準付属」は「○○日本大学高等学校・中学校」に統一されている。なお、「準付属」は諸事情により提携を解消したケースも存在する。
付属高等学校
- 付属(設置者・学校法人日本大学)
- 日本大学高等学校(単独校)※旧・日本大学第四中学校(旧制)
- 日本大学櫻丘高等学校(文理学部併設校)※旧・日本大学世田谷高等学校
- 日本大学鶴ヶ丘高等学校(生物資源科学部併設校)※旧・東京獣医畜産大学付属高等学校
- 日本大学豊山高等学校(単独校)※旧・豊山中学校(旧制)
- 日本大学豊山女子高等学校(単独校)
- 日本大学山形高等学校(単独校)※旧・山形第一高等学校
- 日本大学東北高等学校(工学部併設校)※旧・日本大学東北工業高等学校
- 日本大学習志野高等学校(理工学部併設校)※旧・日本大学工業高等学校
- 日本大学藤沢高等学校(生物資源科学部併設校)※旧・日本大学農林高等学校
- 日本大学明誠高等学校(単独校)
- 日本大学三島高等学校(国際関係学部併設校)
- 特別付属
- 日本大学第一高等学校(設置者・学校法人日本大学第一学園)
- 千葉日本大学第一高等学校(設置者・学校法人日本大学第一学園)(1968年4月~1993年3月までは準付属)
- 日本大学第二高等学校(設置者・学校法人日本大学第二学園)
- 日本大学第三高等学校(設置者・学校法人日本大学第三学園)※旧・赤坂中学校(旧制)
- 準付属
- 札幌日本大学高等学校(設置者・学校法人札幌日本大学学園)
- 土浦日本大学高等学校(設置者・学校法人土浦日本大学学園)※旧・土浦高等学校(準付属)
- 岩瀬日本大学高等学校(設置者・学校法人土浦日本大学学園)※旧・土浦日本大学高等学校岩瀬校舎
- 佐野日本大学高等学校(設置者・学校法人佐野日本大学学園)
- 長野日本大学高等学校(設置者・学校法人長野日本大学学園)※旧・長野中央高等学校(準付属)
- 大垣日本大学高等学校(設置者・学校法人大垣日本大学学園)※旧・大垣高等学校(準付属)
- 長崎日本大学高等学校(設置者・学校法人長崎日本大学学園)
- 宮崎日本大学高等学校(設置者・学校法人宮崎日本大学学園)
付属中等教育学校 [編集]
- 準付属
- 土浦日本大学中等教育学校(設置者・学校法人土浦日本大学学園。2007年4月1日に土浦日本大学中学校から改組し開校)
付属中学校 [編集]
- 付属(設置者・学校法人日本大学)
- 特別付属
- 日本大学第一中学校(設置者・学校法人日本大学第一学園)
- 千葉日本大学第一中学校(設置者・学校法人日本大学第一学園)
- 日本大学第二中学校(設置者・学校法人日本大学第二学園)
- 日本大学第三中学校(設置者・学校法人日本大学第三学園)
- 準付属
付属小学校 [編集]
- 特別付属
- 千葉日本大学第一小学校(設置者・学校法人日本大学第一学園)
付属幼稚園 [編集]
- 付属(設置者・学校法人日本大学)
- 日本大学幼稚園(単独校)
旧付属学校 [編集]
嘗ては以下の付属学校が存在したが、合併・廃校・離脱・提携解消などの理由により消滅若しくは別の学校となっている。
- 旧制時代の付属学校
- 日本大学専門学校→日本大学大阪専門学校(1940年分離/現:近畿大学)
- 日本大学大阪中学校(1944年分離/現:大阪学園大阪高等学校)
- 日本大学大阪夜間中学校→日本大学大阪第二中学校(1944年分離/現:大阪学園大阪高等学校)
- 日本大学第二商業学校(日本大学第二高等学校に吸収)
- 日本大学第三商業学校(日本大学第三高等学校に吸収)
- 日本大学第三工業学校(1976年廃止)
- 日本大学第四商業学校(日本大学高等学校に吸収)
- 系列大学
- 正付属
- 日本大学江古田高等学校(1976年廃校)
- 日本大学横須賀高等学校(1951年日本大学藤沢高等学校と合併)
- 準付属(提携解消)
- 本項の提携解除年は『創立115年 日本大学略年譜』(日本大学資料館設置準備室編 2004年4月発行)による。一部学校で、自校の公式な沿革に記された提携解消時期や校名変更時期等と食い違う場合がある。
- 指定校(準付属校に準ずる提携関係にあった学校。1976年制度廃止につき提携解消。)
準付属系列 [編集]
準付属学校はそれぞれの系列校を設置している。準付属校自体は日本大学の附属校であるが、これらの系列教育機関は日本大学の付属校や系列校ではない。
- 短期大学
- 付属幼稚園
- 土浦日本大学高等学校附属幼稚園(設置者・学校法人土浦日本大学学園)
政治経済学部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
政治経済学部(せいじけいざいがくぶ)は、政治学・経済学を中心として社会科学を学ぶ大学の学部である。政経学部を正式名称としている大学もある。
概要
政治経済学部を最初に発足させたのは、早稲田大学である。同大学は、ドイツの慣習に合わせて、政治学を法学部の一部門と捉える考え方が主流であったなか、イギリスの慣習を採用して、経済学とともに政治を学ぶ学部として「政治経済学部」を発足させた、と主張している。しかし、そもそも当時のイギリスにおいて経済学(political economy)は存在したが、政治経済学部はおろか政治経済学という概念さえ存在しなかったことからこの主張には無理がある。一般的に、政治学と経済学は北米でもドイツ、フランス、イギリスでも全く別の学問体系と捉えるのが主流であり、現在政治経済学部がある国は日本と大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国のみである。このことから政治経済学部は世界的に見て極めて特殊な学部と言える。
例外としてロンドン大学のLSEの正式名称はLondon School of Economics & Political Scienceとなっており日本における政治経済学部と近い学問構成となっているがLSEの設立は1895年であるので、1882年に開校した東京専門学校(早稲田大学の前身)の政治経済学科がこれを参考にしたことは考えにくい。
日本で政治経済学部という特殊な学部が設置された背景としては、次の事実が考えられる。当時日本においては近代化の過程で様々な外来語が翻訳されており、学問名も例外ではなかった。当時イギリスの大学では経済学をeconomyではなく、political economyの古称を使用していた。これも勿論「経済学」と訳すのだが、当時北米ではすでに経済学といえばeconomyとのみ記述するのが普通で、これらの事実を総合すると北米流のeconomyと区別するためにpolitical economyを「政治経済学」と誤訳し、あたかも北米やドイツの経済学とは別の学問体系が存在すると誤解したといえる。
その後、学習院大学と明治大学が早稲田大学に習って政治経済学部を設けたが、学習院大学ではそのわずか11年後の1964年 政経学部を法学部(法学科、政治学科)と経済学部(経済学科)に改組している。 第二次世界大戦後において早稲田大学と明治大学の政治経済学部は異なる特色を持つようになる。早稲田大学政治経済学部では行政学と近代経済学を主とし、明治大学政治経済学部は社会学とドイツ歴史学派経済学を主とした学問体系を築いた。いずれも経済学か政治学に属し、政治経済学と呼ぶべき新たな学問体系を創造するには至っていない。
その後は、どの大学でも政治学と経済学の両方を学べる学部という位置づけになっており、経営学まで網羅している大学もある。
早明間の政治経済学論争
早明両大学は古くから政治経済学部を持っていたこともあり、学問的対立が存在した。特に経済学の分野では学問体系が対立関係にあることからこの二学部に所属する学者の間で経済学論争が起き、旧来から継承されていた近代経済学と歴史学派経済学の根本的、具体的議論が繰り広げられた。
両大学ともに、学生運動の時期はマルクス経済学が主導権を握っていたこともあったが、冷戦構造の終焉を経て近代経済学の確立が目指されることになった。
具体的な論争内容は、60年代以降の学生を中心とした「政治経済学研究会」や教授陣の論文雑誌である「政経論叢」において中心の論点となった事項が数点挙げられる。
- 経済学は、状況に適応した施策を求めるものであるのか(早稲田)、理論追求のものであるべきか(明治)という点。これはまさに景気動向に配慮した形で適応的に政策を実行すべきか、貧富の格差の是正など社会的不安の払拭という思想的理念を政策に移すのかという、対立が存在した。
- 政治経済学に関する議論。早稲田では政治学と経済学の範疇をより専門化、実証化させるべきであるとの合理主義的立場を重視し、明治では社会学や人類学を背景とした、より広範な視点を摂取しながら、政治学と経済学の確立をすべきであるとの理念的立場を重視した。この近代の代表的な構図は、アメリカのコロンビア大学(専門化重視)とシカゴ学派(広範性重視)の違いを反映している。しかし、シカゴ学派には早稲田の藤原保信の政治学がその系統を担っていたし、アメリカの新古典派経済学の実証主義経済政策論を明治で教授した赤松要の流れをくむ赤松学派が存在していたため、政治経済学の対立は、部分的であったという評価もある。明治大学の後藤昭八郎や毛馬内勇士はその後継者であり、日本経済政策学会の理事をつとめており、その中心的存在である。
- マーシャル経済学の日本流入以後、経済学の方法論を合理的認識のもとに置くか、理念的認識のもとに置くかという議論。早稲田は戦後以降、アメリカで進展を見る新古典派経済学を吸収し教育に活かしたのに対し、明治はドイツ系経済学、わけてもマックス・ヴェーバーの歴史学派経済学やシュモラーの歴史学派経済学を重視している。これも、もう一つの対立構図である。特に早稲田の実証的経済学の導入は効果的であった。明治は歴史学的・解釈学的方法論を主とした研究を追究するべきとの考えから、早稲田とは別の独自路線を歩んでいくことになる。
現在では明治大学政治経済学部でも近代経済学が主であり、マルクス経済学系の教員は一名である。これは早稲田大学政治経済学も同様である。カリキュラムを見ても「社会主義経済学」、「ロシア東欧政治論」が必修ではない「応用科目」として存在している程度である。(注:「社会主義経済学」は現在、担当教員が居らず休講中である。)また明治大学では地域行政学科が設置され、行政学にも力を入れるようになっている。
1990年代以降、国際弁護士でエコノミストの湯浅卓等をオブザーバーとして多くのシンポジウムやディスカッションを両大学のゼミ連携で行っており、大学間の論争は影を潜めている。今日的には環境学・平和学の展開を背景にレギュラシオン学派を引く経済理論の考究の様相も呈している。政治学においては、早稲田大学名誉教授の内田満や明治大学名誉教授の岡野加穂留との共著出版や大学間兼担講師を相互に引きうけるなど、むしろ協調的交流さえうかがえる。対立構図はなくなった。
なお現在では、近代経済学においては早稲田と明治ともにほぼ同数の教員が揃っている。それらの教員は、早稲田大学では大和瀬達二、明治大学では池田一新の後継者である。大和瀬は寡占理論の権威であり、また池田はシュタッケルベルクの愛弟子にあたる。大和瀬はE・シュナイダー、池田はシュタッケルベルクの翻訳を日本でいちはやく行なったことで知られている。大和瀬はその著『寡占価格の理論』で早稲田大学経済学博士、池田はその論文「不完全競争理論の体系化のための試論」で明治大学経済学博士となっている。さらに、現在では早明ともにそれぞれマルクス経済学の教員を一名しか置いておらず、早稲田では藤森頼明、明治では飯田和人が講義・研究にあたっている。これらの実態を踏まえると、早明政経論争はもはや過去のものとなっており、現在ではそのような論争を知らない世代の若手教員も多くなってきている。
他大学の状況
早明間では学者間の論争を中心とした学問体系となっていたが、他の大学の政治経済学部は政治学・経済学を結合させた研究・教育を行うという立場を取っていた。
早明以外ではもっとも古い政経学部を持つ拓殖大学(第二次世界大戦前には専門部という名称であった)はもともと台湾への入植者に関する教育を実施する大学であったことから学問的な論点もさることながら実際に拓殖地においてどのように行政と経営を実施するかということを研究・教育する学問体系を取っていた。さらにこうした視点から法学まで内包した科目体制を取っており、現在でも法学は政治学の一分野としてのカリキュラム編成がなされ、学科名は法律政治学科である。
また、戦後の開設となる東海大学と国士舘大学では早くから経済学と政治学を有機的に連携させる体制を取っており、現在多くの大学が目指している学際志向を当初から持っていたといえる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E9%83%A8